お金や健康のこともそうだが、人づきあいがうまくいかないことが一番苦しい。
この本は、そういう悩みにあらたな光をあててくれる。
「われわれは怒りを用いずとも意思の疎通はできるし、自分を受け入れてもらうことも可能なのです」(p.106)。
怒りを感じてはならない、ということではなく、むしろ、怒りを覚えた相手であっても、怒りなしで応じることができるということだろう。
「わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は『主張の正しさ』から『対人関係のあり方』に移ってしまいます」「あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です」(p.107)。
なるほど。相手を自分の意見に賛成させようとする、つまり、屈服させようとするから、けれども、相手がそれに応じないことに苛立つから、怒りで返してしまうのだろう。
「他者もまた『あなたの期待を満たすために生きているのではない』のです」(p.136)。
たしかに、他者から「そうね」「いいね」と言われることを期待してしまっているなあ。
「勉強することは子どもの課題です・・・われわれは『これは誰の課題なのか?』という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです」「他者の課題には踏み込まない。それだけです」(p.140)。
さきの話で言えば、自分の意見を自分が正しいと思うことは自分の課題だが、相手がそれを認めるのは相手の課題であって、そこに踏み込むこともできなければ、踏み込む必要もないのだ。
ただし、このような課題の分離は、たとえば、子どもに対して没交渉になることではなく、むしろ、子どもが自分の課題に自分で立ち向かえる自信、あるいは、勇気をあたえることが大切だ。
その根底には、「ありのままのわが子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく」(p.211)姿勢が必要だ。変わらせよう、何かをさせようとすれば、課題の混同になってしまう。
では、自分の課題についてはどうするか。
「たとえばバイオリニストになることを夢見た人は、いつも目の前の楽曲だけを見て、この一曲、この一小節、この一音だけに集中していたのではないでしょうか」「人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです」(p.266)。