詩人は天からの声を書きとめる、と聞いたことがあります。ならば、詩人は天を仰いでいるのかも知れません。石垣りんさんもそのようです。
「私は私の持つ一切をなげうって
大空に手をのべる
これが私の意志、これが私の願いのすべて!」
けれども、
「家の上にあるもの
天空の青さではなく
血の色の濃さである」
「負えという
この屋根の重みに
女、私の春が暮れる
遠く遠く日が沈む」
天どころか屋根です。屋根どころか水平線より降るのです。
編者の伊藤比呂美さんもこう記しています。
「石垣りんの書いたきんかくしは、ただ尿をひっかければいいきんかくしではなく、糞臭のきつい便所に這いつくばって、拭き掃除をしないとわからないきんかくしなのである」
まさに地べたです。生活です。では、りんさんの天はどこに行ってしまったのでしょうか。
そういえば、やはり詩人の金芝河が「飯は天」と言っていました。
そういえば、聖書にも飲み食いの話がやたらと出てくるのでした。