はじめて蒲田を訪れたのが二十五年前。それから、週に一度くらい通うようになり、やがて、JR蒲田駅からバスで十分くらいのところに住むようになりました。さらに、蒲田一丁目の住民になって、はや十数年が経ちました。
たしかに、韓国人、中国人の友人・知人もでき、子どもたちの通う小中学校にはもっと多くの国々と関わりのある生徒たちがおり、韓国、中国、ベトナム料理も、すぐ近くで食べられます。
この本には、蒲田から程遠くない、日蓮にさかのぼる池上本門寺や、江戸時代にできたという多摩川からの用水路、そして、明治、大正、戦前、戦後、バブル後、現在の蒲田の歴史が読みやすく紹介されています。
戦前に「黒澤タイプライター工場」が駅の西側にあったのが戦争で焼けてしまったのですが、やがて、それが現在の「富士通」関連の会社につながって、かつての工場のあった場所に社屋を持っていることには驚きました。タイプライターって、たしかに、かつての「通信」の要のひとつだったのかも知れません。
もっと驚いたのは、やはり、戦争のことですが、1945年4月の「城南大空襲」で旧蒲田区のほとんどが焼失したということです。さらに、戦前からあった羽田空港は米軍に占領され、その拡張のために、羽田の漁師町の人々は48時間以内の退去を命じられたそうです。つまり、家も財産のほとんども故郷の町もなくしてしまったということです。
それに関連してか、米軍の「慰安婦」施設が作られ、米兵はそれ以外の女性を襲うのですが、警察も何もしてくれない、報道もされない、といった無法状態だったようです。住民を米兵から守るための「自警団員」に対して米軍の装甲車が出動し、軍事法廷で、数人に対して終身刑や重労働20年の判決をくだされたそうです。
このような被害者としての歴史があるわけですが、他方で、朝鮮戦争時の「特需」を町工場発展のバネにしたという面もあります。この本には書かれていませんが、蒲田には民団支部(在日本大韓民国民団)もありますから、戦前からの、強制連行にも関わるような、在日朝鮮人を苦しめた歴史もあるのではないでしょうか。それも勉強しなくてはなりません。
なお、これはシリーズもので、他に、埼玉、島根、北海道、青森、名古屋、千葉、大阪のオバチャンの逆襲などがあります。