日本は「先進国」の座から滑り落ちたのだが、それを受け容れられない人びとがたくさんいて、安倍首相はその典型だから一定の支持を得ている、と平田さんは分析しています。ならば、安倍内閣がやっていることは、「先進国」の座への未練、最後のあがきなのかも知れません。
「先進国」とは生産や売り上げが高い国のことでしょう。そういう国は、教えられたことを従順に覚え、詰め込むことのできる人材によって成り立っていますが、じつは、そういう人は、中国や東南アジアに10億人くらいいると言います。日本の一億はそことはもはや競争できません。
では、どうしたらよいのでしょうか。「付加価値がつけられる柔軟性を含んだ人材を育成していくべきではないか」(p.114)と平田さんは言います。
それはどのような人材なのでしょうか。平田さんは大学院の入学試験で以下のようなことを見ようとすると言います。「疲れていても他人にやさしくなれるか、自分と価値観の異なった意見にも耳を傾けることができるといった寛容さや知的体力。またあるときは地道な作業にも献身的に参加し、あるときは局面打開のために創造性豊かな発言を行うといった柔軟性。様々な欲求、要望がぶつかる中で、どうにか折り合いをつけていく合意形成応力」(p.91)。
これらがお題目ではなく、本当に価値あること、優れていることとされ、その養成や評価が真剣になされていくならば、それは、別の上り坂のはじまりなのではないでしょうか。
平田さんが関わっている二つの大学の演劇科。魅力的ですね。うちの子たちにも紹介してみようかな。