(39)「恐れるな、大丈夫だ、たとえ体は死んでも、魂は死にません」

 病気になって心配なとき、わたしたちは何を心の支えにするでしょうか。まずは、お医者さんかも知れません。お医者さんが、にこやかだったり、こちらの話を良く聞いてくれたり、説明がていねいでわかりやすかったりすれば、とても安心できます。それから、薬や注射や手術などの治療を信頼する場合もあるでしょう。あるいは、病気の苦しみを訴えれば耳を傾けてくれたり、一緒にいてくれたり、手伝ったりしてくれる家族や友人の存在も大きな頼りになるでしょう。

 入学試験を控えて不安なときはどうでしょうか。これまでの模擬テストの結果が良ければ、大きな安心材料になるでしょう。それから、自分はこれだけ勉強してきた、努力をしてきたという思いも自信になるでしょう。あるいは、やはり、励ましてくれたり、悩みを聞いてくれたりする家族や先生がいれば、とても心強いことでしょう。

 人生という苦あり楽ありの道のりでは、何がわたしたちを慰め、勇気づけてくれるでしょうか。ラジオから流れてくる美空ひばりの歌だったり、ヘッドホンでガンガンに聞くロックだったり、いくつかの映画だったり、いくさつかの本だったり、座右の銘とする誰かの言葉だったりするかも知れません。

 聖書によれば、イエスと弟子たちは「神が今ここにおられ、働いていることを信じよう」「その神に目を向け、耳を傾けよう」「神は正義と愛をわたしたちにもたらし、わたしたちもそうすることを求めている」といったことを人びとに伝えようと各地を旅していましたが、大きな迫害を受けたようです。

 けれどもイエスは言います。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」と。魂は殺されないとは、たとえ体が殺されることがあっても、死んでしまうことがあっても、神さまは見捨てない、神さまは死を越えてわたしたちとつながっていてくれる、死を越えてわたしたちとともにい続けてくださる、ということだと思います。だから、恐れるな、と。

 弟子たちには、そして、聖書を読む人々には、イエスのこの「恐れるな」「魂は殺されない」という言葉が根本の支えなのです。そして、それは、音声や文字や記憶としての言葉ではなく、いま聞こえるその言葉とともに、いまイエスがここにともにいてくれる、そのようなもっとも大きな信頼となる現実なのです。