(38)「ひとつの場に身を置きながらも、ほんとうはもうひとつ別のところにも属してる」

 二重国籍が話題になりました。たとえば、日本という国に属し、同時に、アメリカという国にも属する状態です。けれども、じつは、これは、そんなに珍しいことではありません。非正規雇用の人なら、ふたつ、みっつの職場を掛け持ちして働いている人もいるでしょう。小中学生の中には、いくつかの塾に行っている子もいるでしょう。

 いくつかのところに同時に所属するというのは、むしろ、わたしたちのごく普通の姿でしょう。所属先のカテゴリーが違う場合は、なおさらです。ある人は、ある会社に属し、同時に、ある家庭に属し、さらには、ある友達同士のグループに属していることでしょう。

 もちろん、いくつかに属していても、その中のどれか一つが、本来的な場と考える場合もあるでしょう。日本とアメリカの国籍を持っていても、日本国籍は利便のためで、本来のアイデンティティアメリカにあるという人、会社、家庭、友達グループのなかでは、家庭が本来的な場所と感じている人もいるでしょう。

 あるいは、日ごろ属している場所の価値観とは違う価値観を、自分にとっては本来的であると考えている人もいるでしょう。会社では効率第一、競争主義、成果主義に異を唱えない人でも、本当は、そうした考え方にはなじめずに、急がず、じっくりと、皆が助け合い、それぞれのあり方を認め合うのが好きだという人もいるでしょう。

 聖書によりますと、イエスは人びとに向かって、「わたしは世に属さないし、あなたたちも世に属さない」と言いました。これは、まずは、この世界の本当の主(ぬし)は、本来の主は、この世の王や支配者、権力者ではなく、この世界を創造した神である、ということだと思われます。 

 そして、この世には王や支配者、権力者などがいますが、わたしたちは、ほんとうは、見えない神に治められているのだということでしょう。

 さらには、武力や政治力、経済力のような力よりも、愛や思いやりや優しさを尊び、人の痛みに敏感で、組織の利益よりも今目の前で苦しんでいる一人の人の生を守らなければならない、という精神こそが一番大事なものとして、イエスとわたしたちがともに身に備えるということでありましょう。