短歌をつくりたい、というよりも、文章が上手になりたい、詩的、文学的な文を書きたいと思い、手に取ってみました。
「ひとつの歌の形ができると、その表現にこだわってしまうことがよくありますが、初案にこだわりすぎないということも推敲のポイントのひとつです」(p.51)。
ぼくは八百〜数千字の文をよく書くのですが、推敲は、単語、センテンスレベルにとどめてしまい、何十年か前の卒論を最後に、全体の構成からやり直すことはしていません。でも、それでは、本当に良い文は書けないですね。
「ありのままを写しとる」「ものをよく見つけることで発見が生まれる」(p.56)。これは「対象を自分の目で深く見つけることによって、対象と自己がひとつになった世界を写しとるという、より広い意味での写生の理論です」(p.57)。
これは写真撮影にも通じるかも知れません。スマホであっても雑に撮らないで、対象を深く見て自分もそこに重ねてシャッターを押すことを心掛ければ、文章修練にもなるのではないでしょうか。
「慣用句はできるだけ使わない」「新鮮なことばの組み合わせを考える」「ものごとを別の角度から表現してみる」(p.60)。たとえば「『水鳥が水面に浮かんでいる』という文章は、別の角度から見ると、『水面が水鳥を持ち上げている』とあらわすこともできますね」(p.62)ということです。
ありきたりな文章には安心感、読みやすさがありますが、退屈、冗長とも背中合わせです。新鮮な言葉の組み合わせは、注意を引き、印象に残ります。ただ、通じなかったり、難解に受け取られたりする可能性もあるでしょう。
「感情をあらわす形容詞は使わないようにする」「読み手が想像できる余韻をのこす」(p.64)。そうですね。「あの人と言葉を交わし、とてもうれしかった」よりも「あの人と言葉を交わし、ぼくは鼻歌混じりでスキップをしながら帰った」の方が良いですよね。
「直喩を使う場合は、使い古されていない比喩を考える」(p.69)。「あの人は薔薇のように美しい」よりも「あの人は花束のように美しい」の方がまだよいかも知れません。
「『色のついている夢を見た』と表現したときと、『夢のなかで、木に赤い実がなっているのを見た』と表現したときとでは、後者のほうが情景が目に浮かんで、その夢の世界をまざまざと感じることができるのではないでしょう」(p.90)。「あの人はまるで少女のような目をしていた」とするよりも「あの人の眼鏡の下では、長いまつげがしきりにパチパチし、微笑んだ瞳がキラキラしていた」のほうがましでしょうか。
この本は、すぐれた短歌集としても楽しめます。
「さうぢやない こころに叫び中年の体重をかけて子の頬打てり」(小島ゆかり)
「きみとの恋終わりプールに泳ぎおり十メートル地点で悲しみがくる」(小島なお)
「猫としてわがかたはらにゐてくれるあなたはだれか青い月の雪」(小島ゆかり)