ヨブ記は旧約聖書の中でもかなり有名な書物ですが、最初から最後まで読み通したという人は案外少ないかも知れません。
本書はヨブ記についての説教集ですが、説教原稿の前にその日のヨブ記の箇所が口語訳でまとめて引用され、また、説教そのものの中でも今度は短く区切ってもう一度引用され、それについての説明が記されるという形式をとっていますので、本書を読めば、ヨブ記の重要なところを、二度もつまみ読みできることになります。
それにしてもユニークな説教集です。ヨブ記での最終説教の最後の部分で、今井先生は「『わたしには分かりません』と言って終わりたい」「結論の出ないまま終わらせていただきます」(p.378)と述べておられます。
けれども、これはヨブ記の説教を締めるのにじつにふさわしい言葉かも知れません。なぜなら、今井先生は本書の前半でこう記しています。「ヨブは結論を持っていません。結論が得られないが故に神に向かって問い続けます。しかし、神は答えない。答えない限り、ヨブの問いは終わらない。解決に向かって開かれているのです。友人たちは解答を出してしまっています。ヨブの苦悩を目の当たりにしても伝統的な教義を問い直そうとはしない。『教義』と呼ばれる原理原則の中に閉じこもってしまっている」(p.138)。
本書のサブタイトルの「迷い、躓き、行き詰りながら」は、結論を持たないヨブ自身の姿でもあるのです。また、これは、大学受験で失敗し、職業を転々とし、その都度祈ってきたがこれと言った効果もなく、でも、「誰が何と言おうと、イエスさまは分かってくださる」と「たかを括っていた」、「これからも、何の益もないと思いつつ、しかし苦し紛れに祈って生きていくことでしょう」(p.346)と言う今井先生の姿とも重なります。
もうひとつだけ、今井先生のユニークなところを挙げれば、「『ヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者』というのは、人格的完全を言うのではなく、何の計算もせず、唯ありのままの姿で神の前に立つことを言うのではないでしょうか」という解釈も新鮮でした。