この手の本は、いつも、中高生だけでなく、二十歳前後の若者から中高年にまで、魅力的な清々しい文章で満ちあふれています。
内田樹さんが呼びかけ、加藤典洋、平川克美、小田嶋隆、白井聡、鷲田清一らが、たしかに転換期、あるいは、最近では最大の危機である2016年現在の世界や日本の問題と展望を、青年のような文体で綴っています。
「『届いているかどうか』ということは、言葉の内容が『正しいかどうか』より『有益かどうか』よりも、はるかに根源的な問題です」(p.25)とは、内田さん。「どうして、『意味がよくわからなかった』話の方が『隅から隅まで意味がわかった』話よりも生産的なのか。それは【身体が聴いた】からです。人の話を頭で聴くと『わかった』か『わからなかった』の二つしかない」(p.37)。
授業や説教を仕事とするぼくには、これは非常にインパクトがあります。わかりやすい話よりも、届く話が肝要なのですね。政治でもそうかも知れません。与党の暴挙に抗議する言葉やデモの演説、コールは「わかりやすい」ですが、与党や住民に届いているのでしょうか。
加藤典洋さんは、「護憲の考えをもっと徹底することだけが、いまの日本の問題を根本的に解決する唯一の道だ」(p.49)としつつ、9条の精神をより徹底化し、実現化するための、「9条改案」を示しています。
平川克美さんは、政府や財界らが唱える「人口減少に対する俗論」が「筋違い」(p.99)であることをみごとに説き明かしています。「個人の人権の拡大が・・・・女性の結婚年齢が上昇するという現象をもたらしたと考えられます」「結論的に言えば、少子化、人口減少は、日本社会の進歩の帰結なのであり、わたしたちが望んだ幸福追求の結果だということです」(p.118)。日本社会が総合的に進歩したかどうかは議論の余地がありますが、少子化=亡国のような俗論に乗るのはもうやめたいですね。
小田嶋隆さんは、村上龍さんの「13歳のハローワーク」を批判しています。「『13歳のハローワーク』に「会社員」は存在しない」(p.130)、「13歳で人生の目標なんて定まらない」(p.140)、「職業信仰は、『どこかに青い鳥(自分に向いた楽しくてやりがいのある仕事)がいる』という、空虚な不遇感の温床になる。その意味で実に厄介だ。実際には、作業そのものに好奇心を抱かせる要素が無くても、いきいきと働いている人はたくさんいる」(p.144)。
たしかに、中学2年生の職場体験などは、ただカリキュラムのためだけにやっているように思えます。職業信仰に意味はありません。ただ、好奇心を持てない作業であってもなくても、パワハラ、没コミュニケーション、派遣社員無視・放置といった環境では、いきいきと働くことはできないどころか、死にそうだという人もたくさんいると思います。
白井聡さんは、すべてが消費に染まったような世の中において、選挙や教育とお買い物の違いを見極め、消費に支配されない社会を、と訴えています。
さいごは、鷲田清一さんの哲学的論考。「制御不能なものに抗して、『小さな規模』でも制御可能な暮らしのあり方を模索する」「じぶんたちの暮らしのコンテクストをじぶんたちの手で編んでゆく」(p.283)、そして、「じぶんの手で他の人たちとの関係のコンテクストを編むには」「さまざまな圧力や過去の外傷経験や折り重なった断念のなかで怯んでしまい、あるいは何をしてもむだだと諦めてしまい、声を上げられなくなっている人たちに声をかける」(p.285)ことを提起しています。
中高生に伝える本を作る人たちは、大人として生きてきた長年の蓄積を、中高生、青年のみずみずしさで語ろうとしているのでしょう。ならば、大人として固まってしまっているわたしたちも、青年の感性で頁をめくりたいと思います。
中高生とはこの危機を乗り越えようとする人びとのことではないでしょうか。