「スター・ウォーズ論」(河原一久、NHK出版新書、2015年)
スター・ウォーズを、文化/社会、映画史、メッセージ、ルーカスからディズニーへ、といったいくつかの切り口から論じています。映画史における位置づけを述べているところではなじみのない古い映画がいくつか出てきて、冗長の感もあり、不評の向きもあるようです。しかし、全体的には、スター・ウォーズについての広く深い知識から立体的に展開され、読み応えがあります。
スター・ウォーズに限らず、ルーカス作品、ルーカス自身は、黒澤明監督の「七人の侍」に大きな影響を受けているということです。「七人の侍」には「多様な登場人物による多様なプロットを、一本の映画に可能な限り詰め込み」「考えうる限り娯楽の要素を詰め込んで観客を楽しませようとした黒澤の姿勢」(p.153)は、ルーカスに継承され、スター・ウォーズは「古今東西の名作から優れた部分を拝借しながらも、最新の特殊視覚効果によって時代の最先端の娯楽として再生産していった」(p.154)と著者は論じています。
スター・ウォーズの登場人物は、さまざまな「宇宙人」であり、そこには、地球人に似たヒューマノイドのほかに「エイリアン種」と呼ばれる人びとも含まれます。著者はこれらの人びとの「共生」がテーマだとし、「『共生』が実現していた時代とその崩壊がエピソード1~3の世界で、その状況に対しNOと叫んだ反乱同盟勢力が勝利を収めるまでが、エピソード4~6の世界であった」(p.161)と論じています。そう言われてみると、エピソード6の最後に、イウォークという小熊のような外見の小柄な宇宙人たちの祝勝祭りとその音楽にエスニックな解放感を覚えたものでした。
悪と正義に別れ、激しい闘いを繰り広げるシス(ダース・ベーダーとか皇帝とか・・・)とジェダイ(ヨーダとかオビ=ワンとかルークとか・・・)も、じつは、親子や師弟であったり、決別や和解があったりします。「フォースには、ライトサイドとダークサイドの二つの『種類』があるのではない。あくまで『側面』があるだけだ。光があれば陰がある。そのありのままの姿を受け入れ、バランスを取りながら制御して共に生きていく」(p.164)。それをもっともはっきり表現しているのが、アナキンのちのダース・ベーダーでしょう。苦しみながら悪になっていく彼の姿には非常に共感するものがありました。
ルーカスからディズニーにバトンタッチされた今後については、「『大衆に向けたもの』になっていくはずだ」「それによってスター・ウォーズには、時代を超え、あらゆる世代の人々から愛されるという、『永遠の命』が与えられることになる」「ウォルトの死後も、時代を超えて人々に愛され続けるミッキーマウスのように」と預言して、本書は閉じられています。
たしかに、これまで男性ばかりだった(ように見える)ジェダイの騎士に、ディズニーシリーズでは女性が加わるようです。これも、大衆に愛され、永遠の命を得る道筋かも知れません。
アメリカ初の女性大統領が生まれる予兆でしょうか。ぼくらは、白人男性以外のアメリカ大統領をもっともっと目撃することができるでしょうか。日本の総理大臣についてはどうでしょうか。それが、永遠とは言わなくても、人類の寿命が少しは伸びる道になるでしょうか。