308  「美しいものの愛で合いが呼び覚まされる」

映画「キャロル」(トッド・ヘインズ監督)

どうして、恋愛映画では、顔も体も美しい俳優が主役なんだろう。

ぼんやりした顔立ちや体の線では、ラブコメディからラブが取れてしまうという懸念があるからか。

詩人は、言葉にできない美しいものを、目に見えない美しいものを伝えるために、それにふさわしい言葉を探す。いや、その言葉が降臨してきたとき、詩が生まれる。

キャロル役のケイト・ブランシェット、キャロルと魅かれ合うテレーズ役のルーニー・マーラは、まさに、詩を築き上げる言葉だったのだ。いや、詩そのものなのかも知れない。

1950年代のニューヨーク、中盤は西を目指すロード・ムービー、ラストはまたニューヨーク。始まりと終わり、いやあらたな始まりのスチールが見事に呼応している。

多様な性のあり方については、不十分ながら、少しは論じられて来たように思う。けれども、人が人を心から好きになる、人が人をほんとうに美しいと思う、触れあわずにはいられなくなる、求め合わずにはいられなくなる、このこと自体、恋愛自体はどうだろう。

論じるものではないのかもしれない。だから、やはり、詩であり、恋愛映画なのだ。

夫は妻に恋愛などしない。所有したいだけだ。

恋愛を、美しいものの愛で合いを、この映画は呼び戻す。

http://carol-movie.com/