293  「死は終わりではなく、死者は生きている」

映画「母と暮らせば」(山田洋次監督)

死ぬのは、痛いし、苦しいし、悲しいし、寂しいし、悔しいし、惜しいし、血が流れる。死なれるのも、痛いし、苦しいし、悲しいし、寂しいし、悔しいし、惜しいし、涙が湧き出る。死は軽くない。扉を開けて隣の部屋に行くのとはまったく違う。

それにもかからず、死は終わりではない。死を跨いで続くものがある。死から始まるものもある。死は永遠の別れではない。むしろ、永遠の同伴を可能にする。

このふたつを、矛盾なく表現することは難しい。この映画は、それをやってのけた。

天上の井上ひさしさんに「父と暮らせば」という二人芝居の戯曲がある。映画にもなった。

山田洋次さんの映画「母と暮らせば」は、「父と暮らせば」に霊感を吹き込まれ、敬意を表しつつそれを継いだ作品だ。長崎の母、広島の父という対になっているが、原爆、大事な人に先立たれた娘の再出発という土台を共有している。

地上の平和をどこまでも求めながらも、天上の平安が描き出されている。生命のかけがえのなさを愛おしみながらも、永遠のいのちが漂っている。そんな映画だ。二度ほど出てくる教会の場面が地上と天上、生命と永遠のいのちを美しく橋渡ししているが、それを教会だけの特権としてはいない。

「父と暮らせば」を踏襲して「母と暮らせば」では、母と息子、母と息子の許嫁、母とおじさんの二人芝居がベースになっているが、最後にシンフォニイが待っている。やはりカトリックを背景にしながらも教会の枠を超えるメッセージを伝えた映画「レ・ミゼラブル」のラストシーンを髣髴させる。

娘役の黒木華はとてもよい。吉永小百合さんもただ明朗ではなく明暗のある味わい深い演技。山田監督が井上芝居だけでなく、それを映画化した監督、黒木和雄にも敬意を表したのだろうか。浅野忠信は映画版「父と暮らせば」でも同じ位置づけの役だった。

今年一番の邦画。死者は生きている、死は天上への飛翔である。霊が希望に注がれた。


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