「必ず書ける「3つが基本」の文章術」(近藤勝重、幻冬舎、2015年)
良質の文章を書きたい。仕事やFacebookへの投稿。百から数千字の文章は毎日のように書いているが、やっつけ仕事。書きたい、けれども、書けない、思いつかない。だから、書くことより急いで書き終えることが目的となってしまい、駄文濫造。これはよくない。もっと心を込めて書こう。と思い直していたところで、新聞広告が目に飛び込んできた。
「新聞は「人間の問題」、週刊誌は「問題の人間」(p.211)。これは、ふたつのものを比べると文章が見違えることを示す著者自身による例文。
「門限が過ぎて帰宅の間の悪さ」→「門限を過ぎる帰宅は友を連れ」(p.209)。これは、「間の悪さ」と抽象的に説明するよりも、「友を連れ」と具体的な行為を記す方が、ありありと伝わることを示す、川柳教本からの引用。
さらに、「「大学でスペイン語を教えています。」と彼は言った。「砂漠に水を撒くような仕事です。」」は、村上春樹より。虚しさのたとえ。
ぼくがここまでこう書いてきたのは、「文章を書くには「「思う」ことより「思い出す」こと」(p.25)という教えにさっそく従ってみてのこと。もっとも、「そんな」「こんな」「そのような」「このような」が何度も出てくる文章はあいまいな印象を与えるという指摘もされている。
体験、体験を通しての気づき、その気づきの一般化、普遍化。この順番での展開を意識すると書きやすいと言う。
現在、過去、未来という書き方もある。現在の状況、その背景、原因となる過去、そして、それを乗りこえる未来。この流れを意識するのも、書くための一策だと言う。
「必ず」「できる」「三つ」「基本」「術」を並べたタイトルの軽さの割には、しっかりとした内容だ。
ぼくの文章は、書こうとしていることがらの性質上、どうしても抽象的、説明的になりがちだ。「思う」のではなく、事実を「思い出し」、現在を「描く」ことから始めたい。