294  「闇は光を準備し、涙は花を咲かせる」

「悲しみの秘義」(若松英輔、ナナロク社、2015年)

悲しみには長居をしたくない。悲しみには留まりたくない。悲しみに意味などあるのか。若松さんは、悲しみの秘められた意義を書く。

「履歴書を書き進めているうちに私たちは、どの項目にも書き得ない出来事こそが人生を決定してきたことに気が付いていたはずだ」(p.106)。悲しみは、まさに、履歴書には書き得ないが、わたしたちの人生を決定してきたではないか。

「詩を書く」とは、アルバムでは語ることができないもの、被写体の奥底に潜んでいる真実を「言葉によって証しする営みである」(p.16)。

「眺む」とは「異界の光景を認識すること」(p.19)、「よむ」とは「どこか彼方の世界を感じとろうとする」(同)ことだ。

悲しみも詩や「眺む」と意義をわかちあう。小林秀雄を引用しつつ、若松さんは書く。「涙が頬をつたう。それは何ものかが、言葉を探す準備が整ったことを知らせている」(p.35)。

三歳のときに病を得て以来、三十数年ベッドの上で過ごしてきたという岩崎航の詩を引いて、若松さんは書く。「暗闇は、光が失われた状態ではなく、その顕現を準備しているというのだろう」(p.42)。暗闇は悲しみの異名だ。

「悲しみも単に忌む対象ではない。むしろ、生の意味を高らかに告げ知らせる契機となる。別れは、新しき出会いの始まりになる」(p.136)。新しい人との出会いだけではない。人を悲しむことは、その人との新しい出会いの始まりでもある。

「歓愛(かんあい)と悲愛(ひあい)は、消えることのない一つの情愛を呼ぶ、ふたつの名前であることが分かった」(p.144)。悲しみのこの意義は、たしかに秘められている。けれども、やがて育ってくる。

「悲しみの花は、けっして枯れない。それを潤すのは私たちの心を流れる涙だからだ。生きるとは、自らの心のなかに一輪の悲しみの花を育てることなのかもしれない」(p.126)。

花が咲くまで、ぼくもここに留まることにしよう。

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