「イエスという人の物語」(ホセ イグナシオ ロペス ビヒル、 マリア ロペス ビヒル著、 祐川郁生訳、新教出版社、2014年)
1150頁、144章。発行が去年のクリスマスの日付だから、少しずつ、一年かけて読んだことになります。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に基づいてはいますが、それを、ラジオドラマに大胆に仕立て直し、大きく膨らませたものです。イエスや弟子たちや、病人や虐げられた者など出会う人びととの会話や筋立て、奇跡の場面などが、ゆたかな想像力によって、自由に生き生きと描かれています。
かと言って、でたらめなお話ではありません。聖書学や歴史学の一般的な知識も駆使されています。
けれども、背景の中心にあるのは、ラテン・アメリカの「解放の神学」と、解放の神学を生みだした状況、つまり、民衆が政治的経済的にひどく抑圧された状況、そして、それに抗い未来を切り開こうとする希望にほかなりません。
いま、日本でも世界の様々な地域、国々でも、政治の暴力が横行し、民主主義は遠のき、人びとは貧しくされ、支配者に隷属させられつつあります。「解放の神学」の時代はもう終わったと見なされた感がありましたが、けっしてそんなことはなく、むしろ、その時代が再来しています。苦難が、そして、希望の再来する今、ぜひこの本が広く読まれることを願います。
この物語は以下の引用のようにまとめられるかもしれません。「イエスは神の正義を宣言した預言者であり、だからこそ彼は命の代価を支払うことになるが、人々は共同体の中で彼の現存を経験した・・・彼らが信じる神、しかし見たことのない神がイエスの中にいたこと、この神は、イエスの中でご自身を彼らに現された・・・共に分かち合い、祈り合い、共同体の中で福音の価値を生き始めると、彼らはいっそう、イエスの命が彼らの中に存続し続けることを体験し、彼らを通じて希望が他の者たちに伝わることを体験した・・・分かち合いに身を委ねる者一人一人の中にイエスが復活し続け、神の宴会の席にいつの日か着くであろう人びとが新たに復活することは、我々の希望である」(p.1133~1134)。
最後の章では四人の福音書記者が執筆について語りあう場面が自由に想像されています。そのなかで、事実と違うと言う仲間に対し、マタイは「おめえは、詩のセンスに欠けてるな、友よ」「俺は本当の真実ってのは、文字の裏に見出されるんだと思う」「俺のこの話でもって、大勢の者たちがイエスを知るし、彼のように闘うのに励まされるかもしれないし、真夜中に星が輝いているように感じるかもしれないだろう・・・それ以上の真実が欲しいってのか?」(p.1125)と答えています。
マタイ、他の福音書記者、そして、マリア&ホセ(マリアとヨセフ)という名のこの本の著者に励まされ、ぼくも毎週の教会での説教や「蒲田福音劇場」「負けないいのちの物語」を自由に捻り出し続けてみましょうか。その中に真実のかけらがあるかもしれません。