誤読ノート273  「土と風と水と神」

「大地の文学 [増補]賢治・幾多郎・大拙」(小野寺功著、2004年、春風社

 我が家の庭のオリーブ、いちじく、そして、リンゴの木は、大地からいのちをもらい、大地から生え出で、大地によって養われ続け、大地に根を支えられ、大地によって、すくっと立っています。大地はそれまでそこに存在しなかった動物や植物をそこに産み出します。

 「大地」とは何でしょうか。「大地とはいわば自己成立と世界成立の根底となる、人間にとって最も重要な場をいう」(p.155)。「生きとし生けるもの、ありとあらゆるものをその上にあらしめている大地」(p.178)。わたしたちとわたしたちの生きる世界を創造し、わたしたちを生かしあらしめ、なお、わたしたちの土台となってくださるお方を聖書は神と呼んでいます。

 「親鸞は、この大地への信頼、絶対他力の立場から・・・」(p.158)。他力とは、他人頼みのことではなく、自分と世界を創造した力、「大地」の力のことです。それによる根本的支えを、キリスト教は「無償の愛」と呼んできました。

 そういえば、イエスは「神の国」を「土」や種で言い表しています。これは単なる比喩ではなく、イエスは土が種を芽生えさせることに神の生命力を見たのではないでしょうか。旧約聖書でも、さまよう民に神は「土地」と生命の継続を約束しています。あるいは、キリスト教では、大地の実りであるパンとぶどうの汁をイエスの体としていただきます。

 神は「大地」です。そして、「風」です。「聖霊は、神の息吹であり、風であって、生命をよみがえらせる世界の根源的エネルギーだからである」(p.311)。あたたかな「風」が吹けば、冬の「土」はいっせいに芽吹くではありませんか。

 本書は、土と風が生命と人間の根源であることを語っていますが、聖書は、これに「水」を加えています。鹿は谷川の水を慕い求め、洗礼において、人は水で死に、水で生き返ります。聖書は、被造物と創造主を峻別していると言われますが、じつは、土や風や水に、いのちなる神を見出していることも思い出されました。

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