「遺稿集「南無アッバ」の祈り 井上洋治著作選集5」(井上洋治、2015年、日本キリスト教団出版局)
遠藤周作さんらのような作家たちと志をわかちあったり、大きな霊感をあたえたりした井上洋治神父。深いが、難解ではない、感じやすい一冊。イエスの息吹がやさしく伝わってくる。
イエスは神をアッバと呼んだ。直訳すれば「父よ」だが、堅苦しく第三者に呼びかけるのではなく、自分を包み込む空気に身を任せたような発声だ。赤ん坊を腕に抱いた親のように、アッバはやわらかい。
パウロはその「アッバのまなざしによる包容」を「からだ」と呼んだ。わたしたちは、「からだ」にしっかりつながってその一部として生かされている手や足など、「からだ」の部分だ。イエスも神はぶどうの幹、わたしたちはつながる枝だと言う。
「からだ」も「アッバのまなざしによる包容」も「神の国」と呼んでも構わない。そこには、「おみ風さま」が吹いている。いのちの息吹が満ちている。
羊飼いに見つけ出された一匹の羊は、アッバの腕に抱かれる、おおよろこびを感得した。イエスはその「よろこび」をひとりぼっちの人に与えるために、「ご自分のおもいやりのすべてをこめて、パンと葡萄酒を形見として残してくださった」(p.184)。
この著作からぼくが読んだことはこんなことだ。
「片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず」(芭蕉)や「居住を風雲に任せ、身命を山野に捨てる」(一遍)の風にも、井上神父は「おみ風」の香りを覚えた。
井上神父は、遠藤周作さんや若松英輔さんの師のような存在だったらしく、この本を読むことで、このふたりについての納得が深まったように思った。