「尹東柱詩集 空と風と星と詩」(尹東柱、岩波文庫、2012年)
詩人は目に見えるものの根源にある目に見えないものを詠う預言者だと言う。ユン・ドンジュは1917年生まれ。1942年、来日。立教大学を経て、同志社大学に入学。1943年7月、治安維持法違反の嫌疑で逮捕。下鴨警察署に留置される。1944年3月、懲役二年の判決を受け福岡刑務所に。1945年2月16日、獄死。27歳。
ぼくはその37年後に同志社に入学し下鴨に住んだが、尹東柱の声をまったく聞かなかった。けれども、詩人の預言は消えることはなかった。
訳者金時鐘の解説によれば、尹の詩は時代状況を反映しないノンポリだということだ。しかし、時節に囚われることなく書き続けたことこそが、時代への抵抗であり、それゆえに、獄死を招いたという。植民地支配という言葉を使わなくても、読む人の心にはその闇が伝わってくるという。
「死ぬまで天を仰ぎ/一点の恥じ入ることもないことを」。もっとも有名な「序詩」の書き出し。仰ぐべきものは、天である。他に平伏すことはない。
尹は、その通り、死ぬまでひたすら天を仰ぎつづけた。「星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば」。顔を上げて見えないものを凝視すれば、見えるものへの愛が呼び起される。
「紅葉のような悲しい秋がぽとぽと落ちる」「だまって空をうかがっていようものなら、まつげに青さが沁みてしまうのだ」。「少年」の一節。尹は鳥のように空を恋しがった。
「まっ白に雪がおおっていて/電信柱がアンアンと泣き/天の神のみ言葉が聴こえてくる」。「ふたたび太初の朝」より。尹はキリスト者だった。けれども、彼は教義や教えによってではなく、空を見上げて神を知った。
「暗い部屋は 宇宙に通じており/天のどの果てからか 声のように風が吹き込んでくる」。「また別の故郷」より。尹は自室でペンテコステを迎えた。
「見上げれば空は気恥ずかしいぐらい青いのです」。「道」より。尹は恥をかいたのではない。空を畏れたのだ。敬愛したのだ。
「皺ひとつないこの朝を/深く吸い込む、深くまた吸い込む」「朝」より。ルーアハが尹の肺に満ちあふれる。
「ひたすら空だけを仰いで伸びていられるのはなによりの幸せというものではないか」。「隕石の墜ちたところ」より。日本軍国主義、植民地支配の中で、空だけを仰ぐことは、逃避ではない。抵抗であり、信頼であり、愛であった。
尹は、空と風と星を仰ぎ、そのもとで生きる人びとを愛した。詩とは、闇の中にあっても、天蓋に包まれて人びとが生きる姿、そのものだった。