225 「現状を批判し、それに代わるまったく新しい世界を思い描く」

預言者の想像力 現実を突き破る嘆きと希望」(W. ブルッゲマン著、鎌野直人訳、2014年、日本キリスト教団出版局)

 副題の「嘆き」は、旧約聖書のエレミヤに代表されます。悲惨な現状を認識し、それを嘆くことが、現状を打ち砕く批判になります。「希望」はイザヤがもたらします。イザヤに与えられた幻は、現状を打ち砕いた後に、どんな世界が築かれるのかを描き出します。

 エレミヤはこの世の王や権力者や人間が人びとを苦しめている現状を嘆きます。苦しみに対する無感覚は現状を肯定しますが、嘆きはそれを批判します。イザヤは、王や権力者や人間ではなく、神が治める世界、これまでの世界に替わるまったく新しい世界の幻を見、語ります。

 嘆きは痛む人の痛みを想像することから促されます。希望は、その痛みが克服される世界を想像することから湧き出てきます。

 イエスにおいて、エレミヤとイザヤ、つまり、嘆きと希望が重なりました。「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」(マタイ5:4)。イエスは人びとの悲しみを、そして、その悲しみが慰められる今とはまったく違う世界を、想像したのです。

 預言者とイエスの想像は、説明文ではなく、詩として語られます。

 以上が本書の基本線ですが、これに沿って、預言者やイエスの言葉が、著書独特に解釈されています。

 出エジプトは、エジプトという王、権力者、人間の支配する世界に住んでいたイスラエルの人びとに対して、まったく新しい社会が創造された出来事でした。「紀元前十三世紀のイスラエルは無から創造されました。この新しい社会的現実は、啓示の範疇で理解するほかありません」(p.45)。「創造」「啓示」と言われています。

 マタイの告げるイエスの誕生物語は、エレミヤの悲嘆に、ルカのそれは、イザヤの告げる、新しいものの出現にさかのぼると、著者は位置づけようとしているようです。

 スプラングニゾマイ(「あわれみ」)というギリシア語には「(人の苦しみを見て自分の)はらわたを痛める」という意味があることは良く知られていますが、ブルッゲマンによれば、イエスは、その場で心を痛めただけでなく、「周縁に追いやられた人々が熟知している苦痛を、自らの人格と自らの歴史に負うことによって体現しました」(p.181)という見解は新鮮です。

 良きサマリヤ人は、他者を排除するという古い生き方に対して対抗的な(alternative)生き方を、放蕩息子の父親は律法主義という古いそれに(息子の一連の行為は律法違反と見なされると著者は想定してます)対抗する新しい生き方を示していると著者は言います。

 イエスの十字架は、王や権力者、人間による支配に対する、決定的な批判として理解されます。彼の十字架上の言葉は、現状に対抗する新しい価値観だと著者は述べています。

 復活は新しい世界の始まりですが、今までとはまったく違う世界の出現の、初期の一出来事に過ぎないと言う理解には驚きますが、それは、これまで歴史の中で嘆きしかなかった人々に与えられる将来の様々な展開の「初穂」という意味なのでしょう。

 議長や総理を批判する時、では、彼らを降ろして、どのような人を選ぶのか、その想像力がぼくたちには問われていると思いました。

http://www.amazon.co.jp/%E9%A0%90%E8%A8%80%E8%80%85%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%E5%8A%9B%E2%80%95%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E3%82%92%E7%AA%81%E3%81%8D%E7%A0%B4%E3%82%8B%E5%98%86%E3%81%8D%E3%81%A8%E5%B8%8C%E6%9C%9B-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%B2%E3%83%9E%E3%83%B3-W/dp/4818408840/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1415505521&sr=8-1&keywords=%E9%A0%90%E8%A8%80%E8%80%85%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%E5%8A%9B