226 「井上ひさしさんからの莫大な遺産」

井上ひさしの劇ことば」(小田島雄志、2014年、新日本出版社

 ぼくは、井上芝居のおそらくすべてを一度は読んでいますし、芝居もいくつも観に行きました。井上さんに促され、チェーホフも少しだけ、読んだり観たりしました。けれども、シェイクスピアは、小学校の国語の教科書に載っていたリア王の抜粋以外は、まったく読んでいませんでした。

 そんなぼくがこの本を手に取ったことをきっかけに、これから、シェイクスピアを読み始めることになりそうです。井上さんには「天保十二年のシェイクスピア」という初期の作品があって、これにはシェイクスピア全作品が何らかの形で出て来るそうです。それにもまして、井上さんがシェイクスピアを読み込んでいないはずはありませんから、井上ファンを自認するぼくがシェイクスピアをまったく読んでいないのは、きわめて怠慢でした。

 さいわい、この本で、小田島さんが井上さんとシェイクスピアをぼくのなかでつないでくれたので、これからは、小田島さんの訳や解説に導かれて、シェイクスピアを読んでいきたいと思います。そして、これは、これから新作を書くことのない井上さんからぼくへの最大遺物だと思うのです。

 この本では、小田島さんが井上作品を十二ほど取り上げ、わかりやすく、また、するどく論じています。井上作品は、どれも高く評価されることが多いように思いますが、小田島さんは、「劇ことば」という観点から、いくつかの問題点をあぶり出しています。井上ひさし絶賛一辺倒できたぼくは、おおいに刺激され、興味を促されました。

 小田島さんは、「父と暮らせば」と「組曲虐殺」において井上さんのことばとテーマが一致したと評し、そこにいたるまでの作品からは、劇ことばになっていないセリフを抜き出すなどしていて、つまりは、井上ひさし芝居の成長の道筋が案内されているのです。

 では、「劇ことば」とはどういうものでしょうか。それは「日常会話より体温が高く、切れ味の鋭いことば」であり、「日常会話より、アピールする力」(p.8)が大きいことばだと小田島さんは言います。

 劇ことばは、頭で理解して、その場で「わかった」とすませることばとは違い、「腹に響く言葉」「腹にドシンと、その響きが残っているのを感じ」(p.26)られることばです。

 「父と暮らせば」と「組曲虐殺」において、井上ひさしの劇ことばは「深い湖のようになって」きて、「非常に透明で、劇ことばが思想を語るという段階まで到達しつつ」(p.106)あったと、小田島さんは評しています。

 日常会話より体温の高い言葉、腹に響く言葉、とうぜん、庶民に通じる言葉で思想を語る。それが井上芝居の到達点でした。

 では、シェイクスピア小田島雄志の劇ことばはどうなのか、これから楽しみです。

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