「茨木のり子集 言の葉 ?」(茨木のり子、2010年、ちくま文庫)
中国から北海道に強制連行された中国人青年を詠んだ「りゅうりぇんれんの物語」という長い詩が目当てで入手しました。沢知恵さんが曲をつけて歌っているのを聞いたのがきっかけです。
吉田清次さんの語ったことのなかには、史実と異なることが含まれていたかも知れませんが、どうじに、文学的真実、文学的証言をも孕んでいたのではないか、と茨木さんの詩を読んで思いました。茨木さんの詩の最後と同じ救いが、日本軍慰安婦とされた方々の上にも起こってほしいと切に祈ります。
この本には、ラジオドラマ「埴輪」も含まれています。倭に征服され、奴隷とされ、連行された出雲の人びと。その人びとが生み出した埴輪。朝鮮の青磁器との出会い。これにも共通テーマが流れています。
もちろん、詩も。印象に残った言葉を挙げましょう。
ひとりの人間の真摯な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくる
私もまた ためらわない
文字達を間断なく さらい
一篇の詩を成す
このはかない作業をけっして
あるいはついにそんなものは
誕生することがないのだとしても
わたしたちは準備することを
やめないだろう
ほんとうの 死と
生と
共感のために
みずからの死はただの消滅!
成果も反応もないけれども、へたくそに、三流に、言葉を発する衝動をおさえられない者たちを励ます言葉だと思います。
エッセイの何行かにも線を引きました。
「自分の意志より以前に次々に言葉が溢れ出る不思議を初めて味わって茫然としていた」 ぼくは、書く時も、話すときも、言葉がいつも溢れ出て来るタイプの人間ではありませんが、それでも、書ける時、話せる時は、自分の意志と言うよりは、言葉の方が出現するという感じはあります。
「『隠されている、深い意味の、啓示』を感受できた時、それを詩と私は感じる方なので」 このあたりには、ぼくには非常に欠けるところですね。わかりやすいもの、あらわれているものしか、読み取れないのです。
「詩句は活字から身を起こし、自分の肉声となって伸び、ひろがり、耳から人々のイメージを喚起できる能力を獲得できなければ駄目である」 ああ、字句から起き上がり、耳にとどき、イメージを呼ぶ言葉に憧れます。