「書き出しは誘惑する 小説の楽しみ」(中村邦生著、岩波ジュニア文庫、2014年)
この書名に誘惑されました。
ぼくは、毎週、25分の話のために、数千字の原稿を書いていますが、やはり、書き出しに悩みます。それは、そのまま、語り出し、にもなります。これからはじまる半時間の集中力をこちらに傾けるために、つまり、聞き手の皆さんにぼくの話に「入って」いただくためには、ぐっと「つかむ」言葉が、しょっぱなに必要なのです。
そんな下心に促されてこの本を手に取ってみましたが、期待どおり、いや以上でした。
まず、最初に笑いを持ってくる方法。これは、これからどんな話が展開するのか、期待を高め、愉快な気持ちのまま、さらなる愉快を求めて読み進むことを促す効果があるそうです。ぼくも、最初に、よく受けを狙います。笑うと、緊張感がほぐれ、話が自然に耳に入ってきやすくなりますよね。そして、笑いから入りながら、笑い以上の何かへと導かれていくのです。
本著は、書き出し論にとどまらず、小説のさまざまなおもしろさ、読み方を教えてくれます。たとえば、ドストエフスキーのどの小説も「逸脱と越境の激しい感情のドラマ」(p.73)
に満ちており、また、聖俗、高低、上下、賢愚など「異質なもの同士の共存と混交」(p.75)も見いだされると。これも、原稿を書くときに使えそうですね。とくに、ぼくなど、宗教的なお話をするものですから、ええ。
著者は、さらに、書き出し、文章や話の作り方にとどまらず、人生の知恵もわかちあたえてくださいました。人は、大局観を持てと言われますが、危機においては、展望、大きな視野をせっかちに求めると、かえって、「良いことなどこれからもなさそうだ、いや、悪いことが起こりそうだ」という予期不安にさらされ、失望してしまうと。だから、大きなことより、むしろ、小さなこと、たとえば、目の前の植物、動物、生活を楽しむべきだと。「ロビンソン・クルーソー」からの教訓です。
もうひとつ。人は何を語るべきか。ぼくは何を語るべきか、大きな示唆をいただきました。ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」で、遠出に憧れている子どもに、父は明日は晴れそうにないと冷たいが、母は晴れるかも知れないですよ、どうも晴れそうですよと語りかけるのです。