誤読ノート189 「まじめに、ふまじめを貫く詩人」  「定本 山之

誤読ノート189 「まじめに、ふまじめを貫く詩人」

 「定本 山之口貘詩集」(原書房; 新装版 2010年)

 ある日の朝日新聞、一面、最下段。

 「他者とどう折り合うか」と題された天声人語。曰く、「沖縄生まれの詩人、山之口貘(ばく)の「存在」という詩は問いかける。〈僕らが僕々言っている/その僕とは、僕なのか〉」。

 これに宣伝されて、たちまちアマゾン。

 用を足すついでに、ちびちび、なめつづけてみた。

 沖縄には、器量は悪いが、詩人のような木、人の悲声や涙で育つという木があるそうだ。

 虎年、動物園、加藤清正、ひつとらあ。

 科学の頂点によじ登るようだが、飛びっぱなしではなく、まっすぐに落ちてくる飛行機類。

 ぼくは何かでないといけないのか。ぼくはぼく。だから飯をくれ。いのちをくれ。ぼくがぼくだと信じられないのなら、神だと思って、ご勘弁を。

 空手や泡盛の同義語のように眺められるぼくの国。

 朝が来て見れば、顔は草をおしわけ地面に。足、手、胴体が乱雑。それをかき集めるぼく。

 「私の思想は死にたいやうでもある/私の骨格は生きたいやうなのである」

 わかった気がする箇所はこれくらい。

 読み直しても、わからないところも多い。おかげで、二度も通読できたよ。

 詩心は名づけることにある、とは別の人の言葉。

 山之口さんは何を名づけようとしていたのか。

 意味がわからない名前は、たしかにある。

 ぼくが、感じたのは、山之口さんは、まじめなことに、ふまじめに名づけようとしたのでは、ということ。女、飯、仕事、とら・・・。

 でも、そのふまじめさが、とてもまじめ。

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