「迷っているけど着くはずだ」(塩谷直也著、新教出版社、2000年)
神さま、どうして何もしてくださらないのですか。
神さま、どうしてぼくを見捨てたのですか。
神さま、どうしてぼくをこんなみじめに。
ぼくのこの怒りを誰かに向けさせないために、
ぼくのこの怒りをご自分にお引き受けになるために、
神さまは十字架にかかられた。
ぼくはこの本を一日6ページずつ読んでいる。10分くらい。
ぜんぶで30本のトーク。
今日のところでも、発見と納得。
それが上に書いた最初の六行。
塩谷さんの子どものころ、学生時代、日常生活のさまざまな場面。
その風景と、ひねりもはいった心情が、軽妙だけど、深いところまで描かれている。
この門を通って、聖書の庭にぼくらは招き入れられる。
けれども、生活場面と聖書の言葉が、安直に結び付けられているのではない。
掘り下げられている。今日もぼくが発見、納得したように。
彼の語りは、ぼくの心の冷えに届く。
彼は、ぼくの破れた気持ちを描き出してくれる。
けれども、それで終わりではない。
寒い外から暖かな部屋に入ってきたような温かさ、安心が、さいごに、冷えと破れを待っている。
聖書のメッセージを人の心に届くようにトークするとはこういうことなんだ。
説教で悩んでいる牧師さんは、これを数度、読むと良いかもしれないよ。