DVD映画「フタバから遠く離れて」(船橋淳監督、新日本映画社、2014年)
地震、大津波、原子力発電所事故に襲われ、いまだ苦しみ、苦しめられ続けている人々や地域のことを忘れないで、ずっと覚え続け、自分の人生の大きな課題とし続けるためには、かなりのコストがかかります。
新聞や雑誌、インターネット、単行本、映画などを通して、当事者や取材者の声に耳を傾けたり、情報を得たりするためには、時間もかかります。
訪問するには交通費や宿代が必要です。
このDVDも三千円台。でも、これは借りてではなく、お金を出して見たいと思い、買いました。こういう費用は今後も可能な限り抑えたくないと思います。生活費の一部と考えたい。
さて、映画のタイトルにある「遠く」。これにはいくつもの意味が読み取れます。
電力を使うのは遠い東京の住民。
町民の健康対策、今後の生活の保障、あらたな街づくり、帰還、汚染水処理、除染、原発冷却、廃炉、放射線拡散対策などの解決の遠さ。
政治や他地域の住民と、東北の被害者、被災地、被害地との遠さ。
教室に畳を敷き、自分のスペースは布団一枚とそのまわりだけ、三食弁当、プライバシーゼロの、果てしない生活。
町は原発の金に頼ってしまった、「安全」は「神話」だった、議論はもう結構、早く動いてほしい、とは町長(撮影時)の言葉。
緑の木々と山。大地震で散乱した屋内。津波で流された家のあとにはただコンクリートの基礎だけ。畑でひっくりかえっている小舟。
一見、丁寧だけど、無機質な東電社員たちの態度。
何にもない。涙が出てきちゃう。ちきしょう。あの日、原発事故対応の作業がなかったら、母を探しに行けた。二時間だけの帰還中の住民の叫び。
双葉のことは報道してくれない、部屋にいてもいやだし、とは避難所の喫煙所での初老の女性。
双葉の住民を忘れるな、双葉を返せ、皆一緒に浜通りに帰るぞ、という避難者のデモ。
それを拍手と握手で迎える自民党国会議員たちのKY。
デモ参加者も、あれ何? そして、帰れない、でも、あきらめきれない、とも付け加える。
埼玉の避難所から、なるべく双葉に近いいわきに引っ越す避難者。
原発の恩恵四十年のせいで間違った方向に進んでしまった、大きな借金ができた、原発の功罪、罪の方が大きい、四十年放射能まみれになってたんだ、まみれない東京の方が栄えたんですね、とふたたび、元町長。
餓死し、腐敗し、骨となってしまった、置いていくしかなかった牛たち。
そのような近隣の状況の中で、牛の殺処分に反対し、事故後も留まり、将来肉牛として売ることもできないのに、えさをやりつづける牧場主。