170 「整った論や説からではなく、雑音交じりの談と話から聞こえてくる百年後の福島」

 「シャッター商店街線量計」(大友良英著、青土社、2012年)

 権力者サイドからであっても、脱原発の側からであっても、オキマリの「〇〇論」からはわからない、雑談、葛藤、ノイズから見えてくる福島の人々の現実と未来。

 テーマは、ふたつで、ひとつ。全国展開のショッピングモールやチェーン店進出によって、つぎつぎに閉店に追い込まれた地元商店。そして、原発事故後の福島の人々。原発は地方を圧倒する中央資本そのものだった。

 著者の大友さん。ごぞんじ、「あまちゃん」の音楽担当者。でも、この本は、あまブレイク前の2012年末発行。福島高校出身。卒業後は福島を離れていたが、原発事故以来、足繁く通う。

カーネーション」の脚本家・渡辺あやさんや、福島県いわき市出身の若手社会学者「フクシマ論」の開沼博さん、小説家の高橋源一郎さん、福島の果樹園の安齋伸也さんとの対談がおもしろい。

大友さんの自伝的な短い小説も掲載されている。

 福島県の人々が事故や避難や除染やこれからのことで、また、大友さんがご自身と福島とのことで、わりきれずに悩んでいる姿が、そのまま出ているのが、現実に即していて、本当っぽい。

 たとえば、放射能のことばっかり考えていては精神的にまいっちゃうはずなのに、いつも考えていないといけないと言われたり、なぜ避難しないのかと責められたりして、福島の人々が傷ついてしまっている、という大友さんの指摘。

 職人の手作りのものから大量生産のプラスチック製品に変わってしまったという渡辺さんの言葉を受けて、21世紀は鉄腕アトム大阪万博が描いた未来ではなく、「携帯とシャッター商店街」、そして「チープなもの」に囲まれる時代になってしまった、と大友さん。

 避難や除染についての議論にも、地元の人の顔が見えてこない、とは開沼さん。イオンやブックオフデニーロイヤルホストの進出によって、町固有のお店のシャッターが閉まってしまった、とは大友さん。どちらの場合も、中央が地方を見えなくしている。

 意味はノイズの洪水の中にある、ノイズがない脳はありえない、社会のノイズは弱者、それがないと社会は滅ぶ、とは高橋さん。原発地場産業、地元企業、地方の顔というノイズを、大型店は地元商店、地元飲食店というノイズを消し去ってしまい、その結果が、この本のタイトル。

 けれども、望みが全く絶たれたわけではない。

 福島で果樹園をやっていて、今は北海道に住む安齋さんは、福島を捨てたのではなく、今は畑を休ませているだけ、ここ数年ということではなく、ずっと長いスパンで考えたいと語る。現に果樹園には、樹齢百年の梨の木がある、と言う。

 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%95%86%E5%BA%97%E8%A1%97%E3%81%A8%E7%B7%9A%E9%87%8F%E8%A8%88-%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E8%89%AF%E8%8B%B1%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%82%BA%E5%8E%9F%E8%AB%96-%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E8%89%AF%E8%8B%B1/dp/4791766776/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1391029119&sr=8-1&keywords=%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E8%89%AF%E8%8B%B1