「井上ひさし 「せりふ」集」(井上ひさし著、こまつ座編、新潮社、2013年)
ひさしファンにはありがたい一冊。でも、それ以外の人には、一頁に一台詞で130頁で1200円。ちょっと高いというか、新作はもうでないけど、「井上ひさし」の名前はまだ商売になるということなんだろうね。
ひさしさんが書き遺していってくれたたくさんの芝居から選び出された107の名せりふ。煩悩の一歩手前。
「笑いというものは、ひとの内側に備わっていない。だから外から・・・・・」とは、劇「ロマンス」のせりふ。
これをぼく流に言い換えると、良い知らせとか、救いとかいうものは、ひとの内側に備わっていない。だから外から・・・・・。
「たいていが、手の先か、体のどこか一部分で書いている・・・・・・体ぜんたいでぶつかっていかなきゃねえ。」「組曲虐殺」。
頭だけで書いてちゃだめだとは、ごもっともだけど、こちとら、頭さえ動かねえ。
「だつて生まれてくるのは奇蹟なのだもの、その奇蹟がなにかまた、新しい奇蹟をおこすかもしれなくてよ。」これは「きらめく星座」より。
そう、いのちを与えられたことこそが神さまの奇蹟であり救い。そこまでは考えていたけど、その奇蹟や救いがあたらしく奇蹟や救いを起こすかも、これは、いただき。
「いまいる場所は、神様から大事な道具として、あたえられたものだよ。」「兄おとうと」。
場所が道具、というのは新鮮。
「人間が、自分のことを、世の中にあるもののなかで、いちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないと思い、それに徹したとき、まことの力があらわれるのです。」これは「イーハトーボの劇列車」より。
ひさしさん、パウロさんと一緒に、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」というイエスさんのセリフ、聞いたのかな。
「みんな人間よ、同じ人間、怖がってはだめ、見下してもだめ。」「箱根強羅ホテル」。
「お日さまを信じ、お月さまを、地球を、カビを発酵させる大地の営みを信じて、一人で立っているしかないのよ。」「太鼓たたいて笛ふいて」。
「希望ということばを、作り出してしまった以上、たとえ不幸になろうが、希望を持つことが、ひとのつとめなの。」「貧乏物語」。
ひさしさん、暴力夫という声もあるけど、芝居を書かせれば、フェミニストだなあ。女性のせりふがとてもよい。
「闇がなければこの世は闇よ。」「夢の裂け目」。
つまり、闇があるから、この世は闇ばかりとは言えない、ということになる。だから、
「地球の色はすべて美しい。」「マンザナ、わが町」。
「なぜ月はあんなにも美しいのだろう。なぜだ? たぶん、月に持主がいないからだろう。」「芭蕉通夜舟」。
つぎのせりふは、ひさしさんの仕事そのもの。
「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんが、おまいの仕事じゃろうが。」「父と暮せば」。
ぼくは、人間の悲しみと、そのどん底に届く、極上の楽しみを伝えたい。
「たがいの生命(いのち)を大事にしない思想など思想と呼ぶに価しません。」「組曲虐殺」。
はい、たがいの生命を大事にしない信仰・神学など信仰・神学と呼ぶに値しません。
「どんな村もそれぞれが、世界の中心になればいいのだわ。」「イーハトーボの劇列車」。
「あとにつづくものを、信じて走れ。」「組曲虐殺」。
ひさしさんは、まちがいなく、賢治と多喜二の後輩ですね。
「ひさしぶりに煙草がおいしいよ。いい仕事のあとの一服、極楽だねえ。」「化粧」。
この本に収められた最後のせりふ。ひさしさん、極楽にいるに違いない。でも、今度は、肺がんに気を付けてください。苦しかったでしょ。
ああ、いいせりふ、ぼくもつかまえないとね。