161 「あの人、が、おかあさん、になる時」

 映画「麦子さんと」(堀北真希主演、𠮷田恵輔監督、2013年)

 おかあさん、と母のことを呼び始めたのは、いつのことだったでしょうか。

 もう思い出せない遠い日のことですが、ひとはおとなになって、もう一度、おかあさん、と言ってみたくなる時が来るのかも知れません。

 ひとつは、本当は母を求めてやまなかったことに気づき、会いたいという気持ちが募る時。

 もうひとつは、母には、自分たちの母や父の妻となる前の人生があったことを知る時。母にも青春があり、故郷があり、そこには、知らなかったけれども、たくさんの人たちの中で、たしかに生きていた母の姿があったことを知った時。

 母の母として以外の、母になる以前の面影に触れるとき、かえって、母がおかあさんになる、そういうことがあるのかも知れません。

 温水洋一は、鼻の舌を長く伸ばすけれども、おとなの発言をする時はする。

 麻生祐未も、母と同世代の離婚歴のある疲れた独身中年女性であるけれども、銀縁の眼鏡の似合う顔を持つ。

 余貴美子も、朝起きられなく、ずけずけと人に立ち入ってくる、ぶよぶよのダメ親でありながら、すぶすぶの、けれども、子を呑み込むのではなく、どこまでも包み込む母性に満ちている。

 松田龍平も、だらだらしていて、スロット好きで、お金にもいい加減で、母をババア呼ばわりするけれども、パチンコ屋で働き続け、妹のことを思い、母のために号泣する。ぼくも、これには涙を誘われた。けれども、麦子はそれでも泣かない。

 皆が子どもの顔とおとなの表情をゆたかに持つのに、麦子だけは顔を緩めはしても、崩し切ってはしまわない。皆の持つ二極の振幅の中で、麦子だけは変わらない。

 けれども、納骨で母の故郷を訪れて、母が仕組んだのか、予定よりも長く滞在することになり、ついには、母をおかあさんと呼ぶ時、おかあさんの子どもには、はんたいに、かがやくおとなの表情が現われる。

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