160 「来ていただくためには、行く人の立場で」

 「もっと教会を行きやすくする本 『新来者』から日本のキリスト教界へ」(絵と文 八木谷涼子、キリスト新聞社、2013年)

 「(もっと教会を)来やすくする本」という言い方のほうが自然に感じること自体が、ぼく自身がどっぷり教会の中にいる証拠でしょうね。ぼくは、人は教会に「来る」ものだと思い込んでいて、教会は「行く」場所だという普通の人の感覚が抜けていたと思います。

 著者の八木谷さんは、じつに多くの教会に出かけ、よく見、聴き、調べ、考え、その上で、この本の絵を描き、文を書いているのがよくわかる内容です。

 うちの教会は、教会に定期的に来る人がなかなか増えなかったり、高齢者が他界(キリスト教では、召天、帰天などと言います・・・)したりで、こういうタイトルには魅かれてしまいます。

 かゆいところまで手が届く内容ですが、とくに参考になった点を挙げてみます。

 教会のホームページでは「住所とアクセス方法」「礼拝時間」「問い合わせのできる電話番号かメールアドレス」(p.66)がすぐにわかるようにしておくこと、礼拝の開始時間だけでなく終了予定時間も必要なこと。

 ある人は初めて行ったカトリック教会のミサの中で、神父さんが、病気の人のために、世界平和のために、世界の教会のために、ということと並べて、「今日初めて来た人のために」(p.91)(に祈ります)と言いながら祈ってくれたことで、教会やキリスト教に受け入れられ、自分がここにいてもいいんだと思われたこと。

 ところが、おもしろいことに、八木谷さんによれば、プロテスタント教会の方が新来者を歓待することに熱心だそうです。けれども、カトリック教会の方がひとつひとつの教会は大きいし、日本全体の人数も多いと思われます。プロテスタントは少ないから新来者歓待に熱心なのか、あるいは、教会に人が行く行かないには、歓待以外に大きな要素があるのか、考えさせられます。

 ところで、葬儀の時初めて教会に来たという人々に、教会のお葬式の評判は悪くないそうです。お祈りの言葉がわかりやすい、賛美歌が感動的であるという感想に加えて、説教が「いいお話」とも評されるそうです。これを読んで、ぼくの説教が取り立てて良いわけでなかったのだなとあたりまえのことをあらためて思いました。

 この本、教会の役員さんにも差し上げて、読んでいただいて、話し合いながら、もっと教会に「来やすく」する方法を考えたいと思います。どうじに、「来やすい」だけでなく、つづけて「来たくなる」ことが必要で、それは、やはり、メッセージの内容と伝え方(讃美歌の選び方、礼拝の形式、説教のききやすさ、わかりやすさ、響き方)かなと思います。
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