「被災地から問うこの国のかたち」 (玄侑宗久・和合亮一・赤坂憲雄、イースト新書、2013年)
前書きはお坊さんの玄侑さん、後書きは民俗学者、東北学の赤坂さん、間には、これに詩人・高校教員の和合さんを加えた三人の対談とそれぞれの講演記録。
玄侑さんは、除染や飲料水についての国の放射線基準が「行き過ぎ」て厳しいので、人々の不安を煽っている、と前書きで述べています。これには、玄侑さんはどういう立場の人なのか、読んでいてとまどいましたが、先日、テレビでは「安心と安全は違う」と言っていました。福島の線量などは安全だが、人々の心には安心がないということでしょうか。
けれども、玄侑さんは、安全だから安心しなさい、と人々に言っているのではなく、安心がないのは行政の責任だ、今回の事故とそれ以降の状況は安心を許さない深刻なものだと訴えているのだと思います。放射性物質の半減期が何十年、何万年ということを考えると、諸行無常、事柄は変化していく、などと言えず、放射能は無常ではなく、常=変わらない、ということを述べています。また、家畜が内部被爆ゆえに殺処分という行政の判断は、福島の住民をも内部被爆ゆえに差別することにならないかと懸念しています。
放射線量と害の問題は科学者にも政治家にも市民にもさまざまな考えがありますが、玄侑さんの考えは、安全に関しては甘くみえますが、安心については聞くべきものがあると思いました。
赤坂さんは3・11以来、言葉が出ない状態、沈黙せざるを得ない状況があった、しかし、やがて、霧の中で遠くまで見えず、言葉が一キロ先に届かず、二〜三メートルの視界内であっても、「逃げずに語る」ことを選んだと述べています。和合さんも「大文字の事実ではなく小文字の事実を追い」(p.141)、積み上げていくことが自分にとって大事だと語っています。
また、三者とも死について述べています。和合さんは、死をすっかり受け止めてからでないと次に進めない、死者への思いを届けるために書いてきた、そこで何かが燃えてきたと言います。赤坂さんは、子どもたちに「生きている者にとって最も大切な仕事は、死者を悼むことだ」と伝えているそうです。玄侑さんは、お経を唱えながら、誰かの面影を思い浮かべる、と言います。
このように、放射線と言葉と死などについて、本書では語られていますが、その重力にも関わらず、希望もわすれられてはいません。それは、東北の歴史と未来に見いだされます。
赤坂さんは、東北は蝦夷としてやられ、戊辰戦争で敗北してきた、常に大和に戦争をしかけられ、常に敗北してきた、しかし、それは言い換えると、勝てないけれども、負けない戦いをすることを東北人は知っていると言います。
和合さんは、今の状況、フクシマとカタカナで書かれる現実を忘れないで、最後に、ひらがなや漢字の、ふくしま、福島をみんなで取り戻していきたいと述べています。
講演や対談を起こしたものなので、とても読みやすいですが、どうじに、知るべきこと、考えるべきことがいくつも盛り込まれています。