128 「死さえ許されない「放射能」の「煮こごり」から逃れられないとしても」

「ヤマネコ・ドーム」 (津島佑子講談社、2013年)

3・11以後の、いやそれ以前からの、この空間の重さを「煮こごり」と表現し、その煮こごりの中で生きざるを得ない人々、しかも、日本から捨てられた人々の問いと苦悩の、これまた、煮こごりと、そこからの一歩を描いた力作だと思います。
 
津島佑子の父親は太宰治。だが、いや、だからか、この作品では父親は不在の存在で、どこまでも子らを負うのは母親たち。かといって、それは甘えの母子関係などと嘲笑されるものではない。

子どもたちと福島の背中に鉛を流し、固まらせたのはアメリカの/アメリカなる父親たちではないか。

日本人女性と米兵の間に生まれた子どもたち。十才にもならない。池の傍らで遊んでいた。と、フランス人形のようなミキちゃんがオレンジ色のスカートを広げて浮かんでいる。溺死。「なぜ? どうして?」 そこには近所のター坊が佇んでいた。彼が突き落としたのか。それとも? 

 明らかな正解がないまま、けれども、大きな疑問を抱いたまま、彼らは成長する。オレンジ色の衣服の若い女性が殺される事件が、数年ごとに起こり続ける。「なぜ? どうして?」 オレンジとは? 老人ホームの廊下に差し込む西日? ベトナムのジャングルに落とされたナパーム弾の火? 南半球の植物の毒のある実? アメリカに動かされ市民を虐殺したチリ軍がカーキの軍服の下に着ているシャツ? 「なぜ? どうして?」 

 この問いに誘われて、この問いの正解が知りたくて、ぼくは頁をめくり続ける。しかし、物語はぼくの欲望を許さない。各行と頁は、推理や謎解きの展開にではなく、おとなとなった子どもたちの、心の中での、他の子どもたちへの語りかけ、問いかけ、自答、問い直し、語り直し、出口のないモノローグのようなダイアログ、ダイアログのようなモノローグで埋め尽くされていて、一向に「なぜ? どうして?」に行きつかない。いや、正確には、答えにいたらないのであって、問いはさらに続けられ、さらに深められていく。

 時は年表からまったく自由にあれこれ変わり、場所も子どもたちのホームのある東京からローマ、パリ、ベトナム、オーストラリアなどへ奔放に移動する。ダイアログの相手も生者であったり死者であったり。自分と相手の境界も越えられ、人格も重なりあう。自分はミッチなのか、カズなのか。ミッチであり、カズである自分。

 犯人、ストーリーの展開、答えは何かと逸(はや)るぼくを制するかのような表現法。絡み合った糸はほぐれない。ぼくたちに求められているものは、解決や対策以前の文学ではないのか。葛藤なき、文学なき発言が騒々しい3・11以降のこの列島。

 原発事故以後の福島の責任は、この濃く重い立体空間の犯人は、一体誰なのか。東電と歴代の為政者。でも、共犯者はいないのか。ぼくが犯人である可能性はないのか。この問いから逃れられるのか。この可能性と問いを抱き続けることができるのか。抱き続けてどう生きていくのか。

 子どもたちと原発。どちらも親の一人をアメリカとしている。だが3・11まで、原発は日本に愛された。反対に、子どもたちは斥けられた。日本が愛した原発がいまや福島の人々を隅の隅に追い込んでいる。しかし、この小説では、日本から斥けられ、世界に避難せざるを得なかった子どもたちが、いまや、煮こごりとなった日本のアパートの一室の扉を開け、ある人を外に連れ出そうとする。

 「時間が止まっていたら、死ぬこともできない。死ぬためにも、まだ時間が動いているところに移らないと」