124 「キリスト教二千年の歴史はゆたかな霊的資源」

キリスト教霊性の歴史」 (P. シェルドレイク著、木寺廉太訳、教文館、2010年)

 「霊性」spirituality とは、いったい、なんのことでしょうか。ひとことで言えば、「わたしたちの中にある、神から与えられ、今も神とつながっている何か」ということにでもなるでしょうか。

 この本は、紀元一世紀にイエスの弟子たちに求められたことから二十世紀の「テゼ共同体」にいたるまで、人々が神をどのように感じ、表現し、また、それに応じてどのように生きるのかということについての考えの、キリスト教二千年史です。

 神学的な事柄は出てきますが、神学史でもなく、制度史、事件史でもなく、讃美歌や祈りを含む「霊性」の歴史です。

 当然のことですが、二千年もの期間がありますと、さまざまなタイプの霊性が登場します。神を極めて身近にリアルに感じてみたり、神との圧倒的な隔たりを覚えてみたり、人間の側の行為や信仰や経験や敬虔が強調されてみたり、神からの恩寵、圧倒的な恵みを徹底させたり、直感的なもの、感性的なもの、経験的なもの、理性的なものであったりします。

 どれが正しいかというよりも、歴史を学ぶことで、自分の今大事にしている信仰のあり方の歴史上の泉を知るとともに、今の自分の信仰は二千年の歴史におけるさまざまなあり方の一部であるとする相対化をしてみることも大事だと思います。相対化した上で、大事にすることが良いのではないでしょうか。

 本書では、キリスト教霊性の歴史から「修道制的」「神秘主義的」「行動的」「預言者的・批判的」の四つのパラダイムを抽出しています。また、霊は「体」を否定するものではなく、反意語は神の思いに反する「肉」であることが再確認されています。また、キリスト教霊性は、時代を超えて公式化される数学的な真理のようなものではなく、具体的な歴史・時代を背景として形成されるものであることも確認されています。

 そのうえで、現代の霊性においては、霊的生活と日常生活の古典的な境界線は取り除かれ、日常生活にも重なる霊的生活は個人的であるより共同体的なものであり、内面的なものにとどまらず全人格的なものであり、多文化・多宗教的な文脈に応じて教派間、宗教間の対話を促すものだとまとめられています。

 また、紛争のあるところに和解を、不義の状況には正義を、自然破壊に対しては観想や神秘主義を伴うエコロジー的態度を、隠遁ではなく世界への参加を促し、美術、音楽、文学、さらには科学といった人間の創造力とのかかわりを持つ霊性が求められていると締めくくられています。

 ラインマーカーを引いたところをざっと見直すと、数時間で二千年を旅した気分になりました。