「牧者の務めとスピリチュアリティ」(ケネス・リーチ、2004年、聖公会出版社)
スピリチュアリティとは、神の心がわたしたちの中に宿りわたしたちを生かすもの、あるいは、わたしたちが自分を超えて神という源を求めるときわたしたちの中に湧き出しわたしたちを促す泉、とでも言えばよいのでしょうか。
霊性と訳されるこの語の大事な点は、神につながっているということ、神に由来するということ、そして、わたしたちの心身のうちにみなぎるものであること、だと考えます。
それは、内面や心理と無縁ではないし、似てないこともありませんが、それに限定することはできません。なぜなら、上述のように、霊性は、わたしたちの心の産物ではなく、神から届くものですし、また、内的活動だけでなく、社会活動、物理的活動を含む、わたしたちの生全体にかかわるものだからです。
本書はそのような霊性を四つの角度から述べています。ひとつは、さまざまな理由で困難な状況にある人々とともに歩もうとした四人の牧師たちの活動からです。つぎに、霊性の基礎である神の言葉、沈黙、葛藤からです。三番目には、霊的な指導、つまり、牧師が霊的なことがらについて他の人々といかにわかちあうかという観点からです。最後に、牧師(司祭)は専門職である以前に霊性を基盤にした存在であるべきだという観点からです。
最初の角度からは、霊性と、社会的活動とくに預言者的活動は、矛盾するどころか、不可分であることが示されます。
二番目の角度からは、わたしたちが聖書の言葉と対決するかのように必死に取り組み、沈黙と孤独を避けず、むしろ、その中に自分の存在の深部を見出そうとし、自分の心の闇や苦悩、そして、社会悪、不正義と格闘することによって、霊性が養われることが述べられています。
つぎの部では、霊的指導とは、「二人の人間の間のキリストにおける友情関係」であり、霊的指導者は、他人から押し付けられるものではなく、自由に選ぶ「魂の友」である、と語られています。権威主義ではなく、むしろ、聖霊の働きによるおたがいのわかちあいであると。
最後の部では、霊性は、良い牧会や配慮、教会管理などのテクニックではなく、「内面的リアリティー」であり、「司牧者の生活の血と肉」であり、「意味と生命」をもたらすものであることが記されています。
そのほか、ユーモア、想像力を養うための文学読書、何事に対しても驚きをもって臨める感性、安息と永眠につながる休息の大切さなど、興味深いことがいろいろと出てきます。
牧師以外の人にはやや読みにくい個所や翻訳の固さがあるかも知れませんが、霊性についての先入観が打ち破られると思います。
この本を読んでいる途中から、わたしは、祈る時、語るよりも、黙りたくなり始めました。