「この映画は戦争を糾弾しようというものではない」と宮崎さんは記しているが、映画を観て、過去の戦争を反省し、二度と戦争をすべきでないというメッセージを受け取っても曲解ではなかろう。
うろ覚えだが、「人殺しや金儲けのために飛行機を造るのではない」という意味のセリフがあった。
飛行機は何のためにあるのか。
飛行機を飛ばす夢は、設計士や技術者同士を結び、
二郎の紙飛行機は菜穂子のもとに届いた。
飛行機は、人を載せ、人のところに届けるもの。
いや、そもそも風が、何かの到来であった。
風が立つとき、すてきなことが起こる。
二郎の憧れであり友であるカプローニは、軍用機を納入する前に、村の住民を載せて飛ぶ。住民たちはおおはしゃぎだ。飛行機はわくわくして乗るものだ。
この映画の終盤で、空に飛んだ飛行機は、零戦ではなく、その原型となる「九試単戦」だ。最後に出て来る零戦の飛行場面はなく、ただ墜落した残骸が描かれている。
飛行機は、あくまで、空に上るためのもの。
工場から飛行場まで、飛行機を運ぶのは、時速3キロの牛。
ぼくは一途に空を見上げているのだろうか。
たしかに、ぼくの語りも投稿も、一本調子ではあるけれども。