112 「ある科学者の宗教性」

イエス・キリストの生涯の要約」(パスカル、2013年、新教出版社

 パスカルは17世紀フランスの数学者、物理学者にして、哲学者、神学者

 その彼が、イエス・キリストの生涯を一冊の書にまとめていた。

 というのは、イエスの生涯、というより、生まれた時のこと、12歳ころの祭りにまつわる一(いち)エピソード、30歳前後の、一年とも三年とも言われる短期間の言動、これらは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に、それぞれ別個のイエス伝として記されているが、各書によってかなりの相違があり、統一的なイエス像を描くことに、二千年間、パスカルの時代までなら1600年間、人々は憧れつつも、苦労してきた。

 けれども、訳者の森川甫さんの解説によれば、パスカルには「神は福音書に教えられる道によってのみ見出される」「キリストは福音書に教えられる道によってのみ保持される」という熱い思いがあり、それは、おそらく、神やキリストはイエス・キリストの「生涯」の物語において明らかにされるということにもなり、その生涯を整理立てて味わうために、本書が書かれたのであろう。

 森川さんによれば、パスカルは、本著において、詩的表現を用いたり、音楽的テーマや演劇的意味を提示して、味わい深いものにしている。

 とは言うものの、本著が、すらすら読めるイエス物語を提供しているわけではない。354にわけられ、その一区分は、ときには数行の一段落であったり、ときには、「イエスは祈られた」あるいは「三度」というような短いものであったりする。その都度、立ち止まって、想いを巡らせ、意味を考え、あるいは、かみしめ、自分の中に何かが湧いてくるのを待ち、祈ることが求められているのかもしれない。

 本著には、またパスカルのオリジナリティを感じさせる箇所もいくつかある。たとえば、ヘロデとピラトがイエスの尋問後に仲良くなったことを、エフェソ書の「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」という言葉と結びつける。

 イエスは十字架上で衰弱死したのだから、直前に大声で叫ぶ力など残っていないはずだが・・・科学者としての見解?・・・そうできたのは、自然をこえることが起こっているからだと言う。

死んだイエスのわき腹が兵士の槍で突き刺され血と水が流れ出たことについては、医学的には死体を突き刺しても血や、ましてや水が流れることはありえない、だから、これはまさに奇跡だと言う。

 いつの時代にも、信仰と理性の同居はよくあり、またその同居の仕方によって、信仰のあり方も、あるいは、理性のあり方も、また、さまざまだと思うが、この本にも、パスカルの科学や論理に依拠する面と、超自然的な面やキリスト教の伝統的な教えを持ち出す面、また、非常に敬虔な面、キリストを救い主として信じようとする顔が見られる。

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