107 「その人をひとりにさせまいとする者たち、それを家族と呼ぶ」

「遺体 震災、津波の果てに」(石井光太、2011年、新潮社)

 これは、震災、津波で遺体となった人々を、ひとりにはさせまいとする、家族、住民、釜石市民の物語。

 家族のもとに帰そう。この言葉が主旋律として何度も繰り返される。ならば、家族に見いだされなかった遺体はどうなのか。本編の最後の一行に答えがある。

 けれども、著者は感傷的に感動を促そうとしているのではない。目をそらさないではいられない遺体の様をしっかりと描写し、また、その夥しさを「まるで瓦礫の向うから、列をなして遺体が行進してくるようだった」とありありと言い表している。

 この本には、津波から必死に逃げようとする人々、流される人々、黒い渦に飲み込まれていった人々、死んだ人々、そして、下敷きにされたり、木に引っかかったりした人々、家族を探す人々、遺体をどろやがれきの中から助け出す人々、そこから安置所に運ぶ人々、安置所から他県の火葬場まで送り届ける人々、医学や歯科学によって遺体の身元をわかるようにしようとする人々、遺体となった家族を見つけた人々、家族の死を知らされた人々、体育館の床に並べられた泥だらけの遺体に死体ではなく「ご遺体」として向かい合い語りかける人々、お経をあげる人々、途中で声をつまらせ、むせび泣く人々が出て来る。

 著者はその代弁者、代筆者。彼らは、自分たちの経験と胸のうちを取材者に語ることで、また、それを文字にしてもらったことで、あるいは、それを読むことで、かなり救われたのではなかろうか。これをもってカタルシスとしてはならないが、十分な喪の作業が不可能だった釜石住民にとって、けっして無意味なものではなかろう。

 映画も観たが、文字で読んではじめて、ここには、語りがあり、聞きがあり、死から目をそむけたり、悲しみを安易に割り引いたりしない、良質の祈りと弔辞があると思った。

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