「悲しみを生きる力に 被害者遺族からあなたへ」(入江杏、2013年、岩波ジュニア新書)
失業してしまった人、何度試みても良い結果が出ず希望を失ってしまいそうな人、誰かとの人間関係が壊れてしまった人、親しい人や大切な人に先立たれた人、大地震、大津波、原発大事故で人や町や生活を失った人々のことを思わないではいられない人、そういう方々に響く一冊だと思います。
著者は、壁一枚挟んだ隣家に住んでいた妹、その夫、めい、おいが誰かに殺され、その後も、ご自分の夫、母が病死する、という大きな喪失体験を持っておられます。しかも、犯人はいまだにつかまらず、妹一家の死はどこまでも明瞭なものにはならず、夫の死もまた突然のものであり、何の準備もなかったと言います。
そのような「曖昧な喪失感」(p.15)に苦しみながらも、生きてきた十数年間の、著者の経験、まわりの人々との関係、心理状態と省察の変遷がこの本には込められています。
夫の姿勢や言葉がいかに著者を支えてくれたか、娘(著者にとっては妹)を失った(著者の)母をいかに慰め、また、時に悩んだか、突如そのような事件の家族になった(著者の)息子をいかに育てたか、妹やめいなど死者たちの声をいかに聴いてきたか、そして、妹一家を失い、また、それからは夫、母、息子、死者たちとの交わりの中で生きてきた自分自身といかに向き合ってきたかを、ジュニア向けを意識してか、抑え気味の、静かな、平易な文体でつづられていますが、読む者を心の土の深いところまで誘わないではいません。どうじに、わたしたちが自分や周りの人の悲しみとどのように向かい合ったらよいのか、思い悩むときに、参考になる言葉がいくつも出てきます。
それは、何よりも、著者が自分と他者の悲しみから目を背けなかったからでしょう。「悲しみを生きる力に」とは、悲しみが消滅してパワー全開になることなどではなく、悲しみは悲しみのままでありつづけ、しかし、それが大地となり、「悲しみの水脈」(p.216)を同じくする他者とともに何かを育てていくことでありましょう。それは、悲しまないことではなく、悲しむことによって、はじめてできることでありましょう。
著者は、二年前からは、東北に出かけ、絵本の読み聞かせなどを通して、悲しみにある人々と交わることに「生きる力」を使っておられるとのことです。