93 「言葉の天才による、言葉をテーマにした短編小説集」

「言語小説集」(井上ひさし、新潮社、2012年)

 井上ひさしさんは、言葉の天才です。

 けれども、井上さんの言葉は、みやびやかでもなければ、官能的でも、すずしげでもなく、あるいは、スマホのカメラで撮ってネットに載せた写真のようにくっきりあざやかでうつくしい、というようなものでもありません。

 むしろ、ダジャレ、類語、同音異義語、あるいは、似てはいるけど、少しずつ意味や音が違う言葉をこれでもかと畳みかけてくる過剰さがあります。

 同時に、大切なことがらを、ひじょうに平易に、ていねいに言い表す明解さがあります。

 劇や小説の登場人物のせりふは、練りに練られたというよりは、いくつもの古典や人々の口語に根を持ち、耕しに耕されたほくほくの土のような言葉です。

 井上さんは、文やセリフという言葉を糸とし、物語という言葉を織り出します。その言葉の過剰さと明解さ、深さは天才的です。

 その井上さんが、言葉を題材に書いた短編小説。この短編集では、最初に挙げた、井上さんの過剰さが遺憾なく発揮されています。

 カギカッコに恋するオワリカギカッコ(カギカッコトジル)。●や!や / といった脇役たち。井上さんの手にかかれば、これらの記号もいきいきとした個性をもつキャラクターになってしまいます。

 「この暑さが露台の上の露を乾かす」と言うべきところを、「露このが上の乾かす暑さの露台」と語順も意味も破壊されたセリフばかりをあてがわれた俳優の末路と、あてがった演出家の思惑。

 地方ごとの微妙な言葉遣いに精通した言語学者が、それゆえに五十年ぶりに雪隠で見つけ出した恨みある男に遂げた、臭い復讐。

 「たいへんながらくお待たせしました」と言うべきところを「大便ながらくお待たせしました」と、あるいは、「そのまましばらくお待ちください」と言うべきところを「そのまましらばくれてお待ちください」と言ってしまう言語治療科の患者さん。

 いかがでしょうか。井上さんの言葉、洗練されてもなければ、美的でもないけれども、天才的、過剰でしょう。