77 「いつでも帰ってきなさい」

同志社大学神学部」(佐藤優、光文社、2012年)

佐藤優はどうして、外交官になったのか。牧師にならずに。神学部を出ているのに。

神学部を出ていない人にもこの本はじゅうぶんおもしろい。佐藤優の濃厚な人生。その何分の一にあたるのか。大学・大学院時代。それ以前のことも少し。修士課程修了を控え、外交官試験。なぜ外交官に。どうやって。

その間の思索や勉強、学友、教授らとの交わりが、おもには酒場を舞台に描かれている。会話、対話を抜群の記憶力、そうでなければ、かなりの構想力によって再現。学生運動や神学になじみがなければ、やや難しい引用文を飛ばして読んでも、楽しめる。

ぼくは佐藤さんと同い年。学年で言えば彼の方が上かも知れない。大学では向こうが三年先輩。若干の交差はあったが、つきあいはなかった。

けれども、同じ時代に同じキャンパスで過ごしていた人間が、あの頃、何を考え、どのようなタイプの友人を持っていたのか、あるいは、深い付き合いをしていた佐藤さんの目には教授たちはどんな人物だったのか。

自分には良く読めない聖書やドストエフスキーについて、ガイド本を読んで、ああなるほど、と思うのに似たおもしろさがあった。

佐藤さんは、ぼくよりはるかに濃厚に酒を飲み、学生運動に関わり、神学を学び、友人や教授たちと語り合っていた。ぼくの学生時代の大半はパチンコや麻雀によって非常に薄められていた。

その後はどうか。彼は外交官となり、作家となり、百倍の本を読み、今、百倍の発言をしている。ぼくは出版社を半年でやめ、残りの半年を家で寝て過ごし、また学校にはいりなおし、牧師になり、辞め、また、なっている。佐藤さんが読んだ本でぼくが読んでいない本はやまほどあるが、ぼくが読んだ本で佐藤さんが読んでいない本もいくらかはあるだろう。佐藤さんは多くの人と知り合い、多くの人の前で語り、多くの人に知られているが、ぼくが知り合ったわずかの人のことを佐藤さんは知らない。ぼくの人生もやはり濃厚か。

この本は「いつでも神学部に帰ってきなさい。僕たちはいつまでも君のそばにいるからね」という教授の言葉で結ばれている。マタイ福音書の巻末と同じように。

佐藤さんは、作家生活のある時点から、キリスト教や神学について書き始めた。教授たちとも旧交を温めているようだ。そして、「同志社大学神学部」の出版。

ぼくは卒業後は同志社と縁のない世界にいたが、十年くらい前からは、同窓生との交わりをありがたく思いつつ、生き、働いている。

帰る場所がここにもあったのだ。