[「一つの部分が苦しめば」(一コリントを読む)(36)「聖霊の宮」  

6:19-20

6:19あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。


 わたしたちは自分のからだを自分自身のものであり、「すべてのことが許されている」(12節)、自分の自由に使える、と考えてしまいがちです。けれども、パウロは、わたしたちか神さまによって「義と認められた」(11節)のだから、これは、「聖霊の宮」である、つまりは、神さまのものであると言います。また、隣人に仕えるために用いるという意味では、隣人のものでもありましょう。「聖霊」は生ける神さまの働きであり御心です。わたしたちのからだには神さまの御心が宿ってくださり、神さまはその働きの器としてわたしたちのからだをお用いくださるのです。コリントの人々は争いや自分の利益のためにからだを用いていました。けれども、パウロは、からだは聖霊の宮であり、神さまのものなのだから、争いやエゴイズムのためではなく、むしろ、神さまを中心にして、たがいに助け合い、支え合うために用いましょう、と訴えているのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)