44「休養も『がんばる』一部だ」

「復興の道なかばで   阪神淡路大震災一年の記録」  中井久夫

 「日本の機械には『使う快感がない』」(p.173)と中井さんは述べます。本書は、1996年の出版物に収められた一連の文章に、2011年に書き下ろした一文を添えたものですが、そのあとがきで、福島第一原子力発電所の事故に触れた後、中井さんは、日本とドイツの技術者を比べています。

 「設計図ができたらカンバス立てに張って、コーヒーを飲みながらじっとそれを眺めているという時間を持つドイツの技術者と、設計図ができたらさっさと持ってゆかれる日本の技術者」(同)。

 日本の原子力発電所の設計図は、香りと潤いをゆっくりと楽しめたのでしょうか。ぼくは技術者ではありませんが、書いた文章や立てた計画の、誤字訂正程度の見直しくらいはしても、骨子や構造からやり直すということは滅多にないのでした。

 中井さんは、神戸大学医学部教授、精神科医として、震災直後からその方面での責任を担うのですが、「一般に、陣頭指揮は、我が文化においては一つの美学であるようだが、現実的には必要ではなく、必ずしも現場が本心から歓迎しているとは限らない。・・・・・責任者のすることは、なにごとであっても責任を取る覚悟があればよく、後はむしろ、『隙間産業』『半端仕事』が本来の分担である」(p.43)という姿勢だったようです。

 おそらくはぼくの一万倍の知的活動をする、この巨人と比べるのもおこがましいのですが、ぼくも教会のバザーの時などは「陣頭指揮」ではなく「隙間産業」「半端仕事」に身を置くタイプです。どんなことが起こっても責任を取る覚悟などはちっともありませんが。

 「天災だけならば純粋な恐怖と悲嘆とであるが、人災が重なると怒り、怨み、萎縮、人間一般への不信、絶望が加わる。人災のほうが長く深く尾を引くのだ」(p.48)。

 略奪、放火、暴行、強盗だけが人災ではありません。阪神淡路でも東日本大震災でも、それはゼロではないでしょうが、あまり聞いていません。しかし、東日本では、原発をめぐって、震災以前から震災を経て今日に至るまで、人災が続いています。怒りが正義を求める人の心身を蝕むことなく、悪を克服し希望の力となってほしいと願います。

 「休養は、そうっと、じわーっと気を抜いてゆくのが要点である。住む場所や家が変わる人も、やはり一気に気を抜かないことである。ことに中年以後は・・・・」(p.73)。

 東日本大震災10カ月を迎え、被災者、家族、仮設住宅の方々はどうでしょうか。支援者の方々はどうでしょうか。とくに、自ら被災しながら、支援をする人の休養の必要性を、1995年に中井さんは重視しておられたようです。「休養も『がんばる』一部だと考えたい」(p.72)。コーヒータイムなしでもってゆかれる設計図のことが思い出されます。

 「最近の研究によると、その人の人生がどうであろうと、心は、楽しい記憶が六割、悲しい記憶が一割、どちらでもない記憶が三割という比率に整理してゆくらしい」(p.83)。

 ぼくもそうですが、楽しい記憶は数えるほどだ、という方もおられるのではないでしょうか。

 「楽しい記憶を強化することも必要だが、悲しい記憶を閉じ込めるのでなく、信頼のできる人に語って浄化することも必要である。『悲しい記憶を成仏させること』といえば分かりやすいだろうか」(同)。

 悲しい記憶を聞き出すのでも、尋問するのでもありません。当事者が、信頼できる人に語ることが大事なのです。そして、その信頼を向けていただいた時には、聞き出す、問いただすのではなく、音楽のように、しかし、BGMのようにではなく、耳を傾けるのだと思います。