(30)「貪欲な者」

  5:11-13  

5:11私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。

 世界には偽りや不誠実や冷酷さが満ちています。しかし、パウロは世界と縁を切ってしまえとは言いません。パウロは、教会は世界がやがてこれらを克服する前触れであると考えているのではないでしょうか。なぜなら、キリストがすでに悪いパン種を取り除いてくださったからです。教会も完全な共同体ではありません。けれども、わたしたちは、人を傷つけてしまっている現状に心を痛め、少しでも隣人に仕えたいと祈り求めるのです。神さまの愛以外のものを自分の支えとして貪欲に求めていることに気づき、もっと神さまの愛に支えられる者になりたいと切に願い求めるのです。教会は、不完全であり罪深いことをつねに悔い改め、少しでもキリストの心に添うことを切に祈り、また、そうされるという約束に支えられたいと願います。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)