(26)「あなたがたに勧めます」 

4:16-19
4:16ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。



 わたしたちは何のために神さまを信じるのでしょうか。様々な思いがあると思いますが、その中には、「賢い者」(10節)や「強い」(同)者、「栄誉を持つ」者(同)になりたいという思いが潜んでいるのではないでしょうか。けれども、パウロは、自分たちは「キリストのために愚かな者」(同)となり、「弱く」(同)、「卑しめられている」(同)と述べます。そして、これらの「愚かさ」「弱さ」「卑しめ」はキリストの十字架のことでもあるのです。つまり、パウロは、キリストの十字架に倣って、自分も「知恵」ではなく「愚かさ」を大事にする者となりたいと願っており、また、はんたいに、自分の弱さや受ける卑しめをキリストが十字架の上でともに担っていてくださるとも信じているのです。そして、コリントの教会の人々にも、賢さや強さや栄誉を求めたり、傲慢になったりするのではなく、ともにキリストの十字架の道を歩もう、と招き求めているのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)