(24)「この世のちり」

4:12-13

4:12-13また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、 ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。

 パウロたちは、十字架につけられたキリストによって神さまはわたしたちをお救いくださった、この十字架のキリストを信じよう、という愚かなことを多くの人々に伝えようとしました。その結果、「はずかしめられ」「迫害され」「ののしられ」たのです。また、「飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先も」(4:11)なかったのです。まさに、パウロたちは「この世のちり、あらゆるもののかす」のような状態でした。けれども、パウロは、このことも、キリストの十字架と同じように「愚かさ」だと受け止めたのです。言い換えますと、キリストも十字架の上でわたしたちと同じ苦しみを担っていてくださる、また、わたしたちが苦しむとき、それはキリストの十字架の少なくとも一部をになっている、ようするに、キリストがともに苦しんでいてくださる、それに支えられて、わたしたちも苦しみの道を「耐え忍び」(4:12)歩きぬこう、と言うのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)