(19)「神の神殿」

3:16-20

3:16-17あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

 パウロは、コリントの人々、そして、わたしたちは「神の神殿」だと言います。なぜなら、わたしたちの中には「神の御霊」が宿っているからです。では、御霊とはなんでしょうか。(13)で述べたように、「御霊」は「キリストの十字架」と深く結びついたものです。すると、わたしたちが「神の神殿」であり、わたしたちに「神の御霊」が宿っているということは、わたしたちの中には「キリストの十字架」が宿っているということになります。言い換えますと、わたしたちは「人の知恵」ではなく、わたしたちの中に宿っている「キリストの十字架」に導かれて生きるべきだということではないでしょうか。しかし、わたしたちはそれを「愚か」なことだと思い、むしろ、「自分は今の世の知者」(2:18)になろうとし、そのような生き方を否定しようとしてしまいます。けれども、それは「神の神殿をこわす」ことなのだ、とパウロは言い、かえって「愚かになりなさい」と奨めるのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)