(16)「成長させてくださる神」

3:5-8

3:7それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

 わたしたちは、自分は自分の力で成長してきた、とおごってしまうことがあります。また、親や教師や牧師、指導者などによって成長させていただいた、という謙虚な感謝の思いもあります。反対に、この人たちを成長させたのは自分だ、という傲慢な思いが起こることもありえます。けれども、パウロは、成長させてくださるのは神様、だと言います。たしかに、誰か人間が木を植えて、誰か人間が水を注ぎます。けれども、はたしてそれだけで、木は成長するでしょうか。鉄の棒を地面に植えても、水を注いでも成長はしません。木にはいのちが宿り、そのいのちが力強く働いているから成長するのです。そして、そのいのちを宿らせ、いのちを働かせているのは、神さまに他なりません。このことを深く思うのならば、「私はパウロに」「私はアポロに」といった争いなどは乗り越えられるはずだと願いつつ、パウロは、成長させてくださるのは神様、だと語っているのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)