一コリント(22)「もらったもの」

4:6-8  

4:7いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。

 わたしたちは、自分が正しい、自分は優れていると思い、争い合います。あるいは、正しい者、優れている者になることで、自分自身を支えたいと願います。けれども、パウロは、今、わたしたちが手にしているものは、自分の力で獲得したのではなく、神さまからいただいたものだということを思い起こさせます。自分のいのち、自分の体、知恵、知識、心、水、空気、この世界、周りの人々、時間、愛、すべては、じつは神さまからの贈り物なのです。だから、それらを自分で手に入れたのだ、自分はすぐれた者だ、と誇ってはならない、とパウロは言うのです。言い換えますと、自分の手柄に頼る人は自分で何でもできる、神さまからは何もいらないというように「もう満ち足りて」(4:8)いて、神さまからの恵みを受け入れる余地がない、いや、神さまから恵みを受けていることに気づく余地がない、と言うことでしょう。すべては主からの贈り物、感謝いたします。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)