(11)「隠された奥義」

2:6-8  

2:7私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

 パウロは神さまに救われるためには人間の知恵が必要であるとは考えません。むしろ、人間の知恵はキリストの十字架を愚かなものとだと判断してしまい、救いにいたることができないと考えます。けれども、神さまの知恵は「隠された奥義」(2:7)だと言います。それは、人間の知恵では、十字架のような愚かなものこそ救いであることが理解できないからでしょう。では、それはどのような知恵なのでしょうか。人間社会一般の知恵でもなく、社会の支配層の知恵でもないと言います。それは「世界の始まる前から」(2:7)とありますから、人間が存在する前からの知恵なのです。人間の知恵をはるかに超えているのです。しかも、人間の考える優劣の尺度の頂上にあるということではなく、そのような尺度によらないものだということなのです。神の救いは人間の尺度にはよらない、だからこそ、人間の尺度では救われないようなわたしたちにも神さまの救いがあるのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)