369  「聖書を愛する一市民の思想的力作」  「旧約から新約へ ―聖書の民衆思想―」(大河原礼三著、2016年)

 平和と正義を求めて旧新約聖書を研究し、書物にし、出版し続けてきた大河原さんの最新作です。

 「筆者が木田(献一)から学んだことの一つは『聖書神学』についてである。従来の神学は『旧約聖書神学』と『新約聖書神学』とに分かれてそれぞれが専門化していたが、旧新約聖書全体を総合化する神学が一九六〇年代から研究され始め、それが『聖書神学』である。筆者は神学には素人であるが、聖書神学の発想に関心をもち、本書はその探求の一つの試みである」(p.77)。

 旧約・新約を貫いた最近の日本語研究書には、上村静さんの「旧約聖書新約聖書」や「宗教の倒錯」がありますが、これらは、ふたつの書を貫く神学の研究ではなく、むしろ、当初の崇高な思想が両書を通して毀損されていくさまを明らかにしています。

 その点、大河原さんは旧新約を一貫する崇高な思想を描き出そうしていますが、それは、近代の言葉で言えば、「人権」ということになるでしょう。ただし、大河原さんは、こう述べています。「『人権』は憲法に代表される法律の言葉であり、人権を根本的に支える哲学の言葉が『人間の尊厳』であり、人間の尊厳を自覚させる宗教の言葉が『神の像としての人間』である」(p.74)。

 本著では、旧約聖書では、「神の像」「安息日」「テラの旅立ち」「出エジプト」「カインとアベル」「大洪水」「バベルの塔」「エゼキエル」「エリヤ」「アモス」「ホセア」などに、新約では、イエスの「神殿批判」「富める青年」「五千人の供食」「ロバに乗るイエス」「仕える者になる」などに、非権力・平等主義の思想を見出しています。

 なお「旧約聖書とイエスは人間一般の罪ではなく、権力者、支配者の罪を問題にしている。そこのことは旧約聖書福音書をよく読めば理解することができる」(p.27)とありますが、これは、人間一人一人の中にも、権力・支配志向があることを否定するものではないでしょう。けれども、問題にすべきは、その志向が実行され、人びとを抑圧する事態だ、ということだと理解しました。