567 「聞いて良かった旧約の意外な点」・・・「今さら聞けない!?キリスト教 旧約聖書編 」(勝村弘也、教文館、2020年)


 タイトルからはキリスト教の常識や入門知識が書かれているように思われますが、じっさいに読んでみますと、キリスト教に触れて何十年も経った者でも、「あ!そういう考えもあるのだ」と思わせられることがいくつも出てきます。

 

  創世記12章3節には「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」とあります。「あなた」はアブラハムという人物を指しますが、勝村さんによれば、ここは、「すべての人々がアブラハムによって神の祝福を受ける」というだけでなく、「すべての人々がアブラハムのように神の祝福を受ける」とも解釈できるそうです。同様に、新約には「主イエス・キリストの恵みがあなたがたにありますように」という表現がよく出てきますが、これも「あなたがたがイエスのように神の恵みを受ける」とも読めるそうです。これは、著者によれば、「メッシみたいになれそうだね」「田中将大みたいな速球をなげるようになるね」(p.64)と子どもを励ますのと似ているそうです。

 

 創世記19章13節には「大きな叫びが主のもとに届いた」とあります。ここは、ソドムの町の者どもが虐げる人びとの叫び声が神に届いたと解釈されることが多いのですが、勝村さんは、これは「ソドムの住民のヘイトスピーチが神にも聞こえた」という意味ではなかろうかと言います(p.88)。ソドムの住民は外から来たロトやロトが受け入れた客人を暴力によって締め出そうとした、そのヘイト行為が神に裁かれる物語であると著者は考えます。

 

 詩編には「敵を滅ぼしてください」という祈りが頻出します。現代の読者は「滅ぼしてください」と祈るのはためらい、共感できないのですが、著者は、「敵」は「死」が擬人化されたものだと言います(p.125)。「これらの敵は、ひとの『いのち』=『生』をむなしいものにしてしまうあらゆるものを指しているのです」(p.127)。

 雅歌に出てくる男女の愛は、古来、神と人間の関係の比喩であると考えられてきました。しかし、最近の研究では、これは恋愛の歌であると考えられています。しかも、結婚の枠を超えた愛であると(p.180)。では、これが聖書にふさわしくないかというと、そうではなく、「互いに愛し合う男女の歌い交わす愛の歌は、彼らを取り巻く環境世界と互いに溶けあい、共鳴します。人と人とが共鳴し、人と動植物が共鳴する。そして宇宙が共鳴する。このような被造世界における共鳴は、必然的に人間と自然と万物の創造者である神との共鳴をも喚起するのではないでしょうか」(p.192)と著者は論じています。

 

 旧約聖書預言者たちは、権力者が人びとを苦しめることを厳しく批判します。しかし、旧約聖書の書物の一つである「コヘレトの言葉」は、人びとが苦しんでいることは記述しても、権力者に抵抗しようとはしません。人びとの苦しみにも共感せず、ただ世のむなしさとしてたんたんと書いているだけです。

 

 「コヘレトの言葉」について、勝村さんは「最終的には克服すべき思想であったとしても・・・そのようなコヘレトの思想を正典の中に収めることにしたことにユダヤの知恵が現れている」(p.219)としています。

 

 普遍的に正しいことだけ、そう判断したものだけでなく、そうではないものも卓上に残すことによって、わたしたちに思索は深く豊かになる。旧約聖書はそれを教えているのではないでしょうか。

 

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